ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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小松 茂美
小松 (1)

小松 (2)
小松 茂美 像
(山口県 柳井市柳井 柳井市立図書館)

撮影日:2015年2月26日
分 類:文化人
評 価:☆☆☆

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小松 茂美(こまつ しげみ)
(1925年-2010年)
昭和後期-平成時代の古筆学者

大正14年3月30日生まれ。
昭和28年東京国立博物館にはいり、独学で平安朝の仮名書跡を研究、
古筆学を体系化した。
41年「平安朝伝来の白氏文集と三蹟の研究」で学士院賞。
「平家納経の研究」の完成をふくむ古筆研究の体系化で55年朝日賞。
同博物館美術課長を最後に61年退官し、古筆学研究所を設立、主宰。
平成22年5月21日死去。85歳。山口県出身。柳井中学卒。
著作はほかに「古筆学大成」「平家納経 平清盛とその成立」など。  
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「小松茂美文庫」は、古筆学研究所(東京都千代田区九段南)所長小松茂美博士(元東京
国立博物館美術課長)が永年にわたって手がけられた著書の全部が、博士のご寄贈によっ
て架蔵されています。
博士は、柳井中学校(現柳井高等学校)のご出身で、柳井をこよなく愛され、そのご好意
によって生まれた文庫で、現在、その架蔵は238冊に及んでいます。
古筆学に関する先生お一人の膨大なご著書が全部揃っているのは全国に当館だけです。
「柳井市立図書館ホームページ」から

[感  想]
柳井市立図書館の2階におられます。
小松 (3)
白い大理石で造られた上半身の像です。
図書館内には、小松茂美文庫も有ります。



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村上 半太郎
村上IMG_1859 (1)

村上IMG_1859 (3)

村上IMG_1859 (4)
村上 半太郎 像
(愛媛県 松山市 南堀端町 JA愛媛)

撮影日:2013年3月20日
建設年:昭和46年
分 類:実業家・俳人
評 価:☆☆☆

村上半太郎
(1869年-1949年)
農業指導者、俳人

伊予農業銀行頭取、今出産業信用組合長、県信用組合連合会長、県信用購買利用組合連合会長、愛媛銀行頭取などの要職を務め、その傍ら句作に励み、子規に先んじて蕪村を推重し、子規の句友として活躍した。
正岡子規のほか、夏目漱石、高浜虚子などとも親交があった。

[感  想]
JA愛媛会館入口におられます。
村上IMG_1859 (2)
長く伸ばした髭が特徴的な胸像です。

浜口 庫之助
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浜口 庫之助 像
(北海道 札幌市 羊が丘展望台)

浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ)
(1917年-1990年)
昭和時代後期の作曲家

撮影日:2008年10月29日
分 類:作曲家
評 価:☆☆☆

浜口 庫之助

大正6年7月22日生まれ。
昭和34年の「黄色いさくらんぼ」、40年の「愛して愛して愛しちゃったのよ」(作詞・作曲)でヒットメーカーとなる。
41年の「バラが咲いた」(作詞・作曲)が大ヒットし、あたらしいフォークソングの先駆けとなった。
同年「恍惚のブルース」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」で日本レコード大賞作曲賞。平成2年12月2日死去。73歳。兵庫県出身。青山学院卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から
夜霧よ今夜も有難う(歌:石原裕次郎)(1967年)
恋の町札幌(歌:石原裕次郎(1972年) 、

[感 想]
「恋の町札幌」の歌詞の碑の上に石原裕次郎と一緒におられます。
メガネと髭が特徴的です。

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橘 曙覧
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橘 曙覧 像
(福井市足羽 橘曙覧記念文学館中庭)

橘 曙覧(たちばな の あけみ)
(1812年-1868年)
歌人

撮影日:2008年9月2日
分 類:文化人
評 価:☆☆☆

橘 曙覧

江戸時代後期の国学者、歌人。
文化9年5月生まれ。
越前(福井県)の人。
本居門の田中大秀にまなぶ。
家業の紙商を弟にゆずって福井郊外で国学をおしえる。
藩主松平慶永に出仕をすすめられたが辞退。
国粋思想をとなえ、万葉調の歌をよんだ。
慶応4年8月28日死去。57歳。
家集に「志濃夫廼舎歌集」など。
【格言など】たのしみはとぼしきままに人集め酒飲め物を食へといふ時(「橘曙覧歌集」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

彼の歌を編纂したもので『独楽吟』がある。
「たのしみは」で始まる一連の歌を集めたものである。
1994年、今上天皇、皇后がアメリカを訪問した折、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の歌のひとつを引用してスピーチをしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになった。

橘曙覧記念文学館
2000年4月、福井県福井市の愛宕坂の旧居「黄金舎」跡に顕彰施設である橘曙覧記念文学館が開館した。

[感 想]
橘曙覧と三女健子の親子の像です。
健子は、4歳で病死してしまったそうで、健在の頃の睦まじい様子が表現されている像です。

久津見 晴嵐
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久津見 晴嵐 像
(福井県 福井市 足羽山公園)

久津見 晴嵐(くつみ せいらん)
(1854年‐1931年(昭和6年))
明治-昭和時代前期の華道家、茶道家。

撮影日:2008年9月2日
分 類:文化人
評 価:☆☆

由利公正の甥。
越前(えちぜん)福井藩士の子。
明治13年福井で山本竹雲にまなぶ。
竹雲が京都へかえったのち、文房流華道・茶道を創始した。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感 想]
福井市足羽山公園にあります。
きびしい感じの表情です。

滝 廉太郎 2
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滝 廉太郎 像 2
(大分県 大分市 大手町 遊歩公園)

撮影日:2008年2月3日
分 類:作曲家
作 者:朝倉文夫
評 価:☆☆☆

大分県出身の作曲家滝廉太郎の像。
朝倉文夫による1950年の作品である。
朝倉は竹田高等小学校での滝の3年後輩であり、像の下部には廉太郎との関わりを記した朝倉自筆の文が刻まれている。
遊歩公園は滝廉太郎の終焉の地でもあり、その地を示す標柱も立てられている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
東京都 台東区 上野恩賜公園にある像と同じものと思われます。
滝廉太郎と彫刻家の朝倉文夫が先輩後輩だったとは、驚きです。

滝 廉太郎 1
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滝 廉太郎 像 1
(東京都 台東区 上野恩賜公園)

滝 廉太郎(たき れんたろう)
(1879年-1903年)
明治時代の作曲家

撮影日:2007年6月21日
分 類:作曲家
作 者:朝倉文夫
評 価:☆☆☆

滝 廉太郎
滝 廉太郎
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

明治12年8月24日生まれ。
ピアノを幸田延に,作曲をケーベルにまなび,東京音楽学校(現東京芸大)研究科卒業後母校の教師となる。
歌曲集「四季」(「花」をふくむ),中学唱歌「荒城の月」「箱根八里」などを作曲。
明治34年ドイツに留学したが,結核にかかり帰国。
明治36年6月29日死去。25歳。
東京出身。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「作 品」
明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができたが、日本語訳詞を“無理にはめこんだ”ぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていた。
滝は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えるだろう。
彼の代表作である『荒城の月』は、『箱根八里』と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。
また、最も人気の高い曲のひとつである『花』は1900年(明治33年)8月に作曲された、4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。
『お正月』、『鳩ぽっぽ』、『雪やこんこん』などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られるが、これらは1900年に編纂された「幼稚園唱歌」に収められた名曲である。又、『荒城の月』は、ベルギーで讃美歌になった事も判明した。
歌曲に有名な作品が多い滝だが、1900年には日本人作曲家による初めてのピアノ独奏曲『メヌエット』を作曲している。
肺結核が悪化して、死期が近いことを悟った時、死の4ヶ月前に作曲したピアノ曲『憾』(うらみ)が最後の作品として残された。
また、後に、『箱根八里』は、箱根登山鉄道の発車メロディーになる。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[銅 像]
奏楽堂の玄関脇に滝の像が建つ。
作者の彫刻家、朝倉文夫は滝とほぼ同世代。
大分県竹田の小学校の同窓で、滝が通う上野の音楽学校の隣の美術学校彫刻科で学んだ。
滝の没後、少年時代の思い出をもとにして像を彫んだという。
文・名和 修
「NIKKEI 日本の近代遺産50選ホームページページ」から抜粋

[感  想]
上野公園の旧東京音楽大学 奏楽堂の前に座っています。
像は、眼鏡をかけて真面目そうな感じです。
朝倉文夫が早世した滝の少年時代を思い作った像ということで、感慨深いものがあります。





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