ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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紙本 榮一
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紙本 榮一 像
(山口県 山口市 香山町)

撮影日:2011年12月25日
建設年:昭和59年
分 類:剣士
評 価:☆☆☆

紙本 榮一(かみもと えいいち)
(1903年-1995年)
剣道、居合道、杖道の範士

明治36年生まれ。
海軍入隊後、中山博道範士に入門し剣居一体を悟る。
古流居合の統合を提唱し昭和43年居合道研究委員長、制定居合確立に尽力。
昭和57年体育功労者、勲五等双光旭日章。
明治から昭和にかけて剣聖と呼ばれた剣道、居合道、杖道の範士。

紙本

[感  想]
五重の塔で有名な瑠璃光寺の駐車場におられます。
剣を持った立ち姿が、凛としています。
子供と同じクラスの友達のおじいちゃんだということで、親近感も有ります。
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時政 鐵之助
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時政 鐵之助 像
(山口県 防府市 浜方 防府市武道館前)

撮影日:2011年11月21日
建設年:平成5年
分 類:剣士
作 者:石黒 孫七
評 価:☆☆☆

時政 鐵之助(ときまさ てつのすけ)
(1908年-1992年)

防府市市議会議長、防府市教育委員会委員長、山口県剣道連盟会長等を歴任されており、防府市と剣道の発展に貢献された人です。
剣道八段、剣道師範

[感  想]
防府市武道館の前におられます。
剣道八段の剣士です。
眼鏡をかけた穏やかな表情が印象的です。

宮本 武蔵
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宮本 武蔵 像
(熊本県 熊本市 武蔵塚公園)

撮影日:2011年8月7日
建設年:平成元年
分 類:剣士
作 者:三坂耿一郎
評 価:☆☆☆

宮本武蔵
宮本武蔵像 島田美術館蔵 熊本県指定重要文化財

宮本 武蔵(みやもと むさし)
(1584年-1645年)
江戸時代前期の剣術家

天正12年生まれ。
播磨(兵庫県)または美作(岡山県)の人で,父は一説に新免無二斎。
二天一流をひらく。
生涯六十余度の試合に不敗をほこり,吉岡一門,佐々木小次郎との決闘が名だかい。
晩年は肥後熊本藩の客分となった。
水墨画にもすぐれ,代表作に「枯木鳴鵙図」など。
正保(しょうほ)2年5月19日死去。62歳。
名は玄信。号は二天。
著作に「五輪書」など。
【格言など】我(われ)事において後悔せず(「独行道」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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「武蔵と熊本」
寛永17年(1640年)熊本城主細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。
7人扶持18石に合力米300石が支給され、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、家老以上の身分でなければ許可されない鷹狩りが許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。
同じく客分の足利義輝遺児足利道鑑と共に忠利に従い山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。
翌年に忠利が急死したあとも2代藩主細川光尚によりこれまでと同じように毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。
『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として「士水伝えて云、武公肥後にての門弟、太守はじめ長岡式部寄之、沢村宇右衛門友好、その他、御家中、御側、外様、及陪臣、軽士に至り千余人なり」とこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。
この頃余暇に製作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。
寛永20年(1643年)熊本市近郊の金峰山にある岩戸の霊巌洞で『五輪書』の執筆を始める。
また、亡くなる数日前には「自誓書」とも称される『獨行道』とともに『五輪書』を兵法の弟子寺尾孫之允に与えている。
正保2年5月19日(1645年6月13日)千葉城の屋敷で亡くなる。
墓は熊本市弓削にある通称武蔵塚。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

枯木鳴鵙図
「枯木鳴鵙図」

[感 想]
有名な二刀流の「二天一流」の構えの像です。
よく見る宮本武蔵の肖像画を基に作られたと思われます。
終焉の地である熊本でじっと前を見据えておられます。


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佐々木 小次郎
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佐々木 小次郎 像
(山口県 岩国市 吉香公園)

佐々木 小次郎(ささき こじろう)
(生年不詳-1612年)
織豊-江戸時代前期の剣術家

撮影日:2007年6月12日
分 類:剣 客
評 価:☆☆☆☆

越前(福井県)の人という。
鐘捲自斎に富田流をまなび,武者修行で燕返しの剣法をあみだす。
豊前小倉藩(福岡県)藩主細川忠興につかえ,慶長17年4月13日宮本武蔵と船島(巌流島)で決闘し,敗れて死んだとつたえられる。
出身,経歴には異説がおおい。
幼名は久三郎。号は巌流,岸柳,岸流。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

1612年に刃長三尺三寸(約99.99センチメートル)の野太刀「備前長船長光 」、通称物干し竿(この呼び名は「長いだけで斬るには向かない」とする侮蔑的な意味合いがあるため、後世につけられたとみられる)を使用して、宮本武蔵と巌流島(船島、山口県下関市)で決闘し、敗死したとされる。
同時代の豊前国の小倉藩(当時は細川氏)家老、門司城代の沼田延元による文書『沼田家記』では、決闘で敗北した後に武蔵の弟子達に殺害されたと記されている。
吉川英治原作の小説『宮本武蔵』では、周防国(現山口県)岩国(現岩国市)の出身とされている。
山口県岩国市の吉香公園、前述の一乗谷に銅像がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[感  想]
いろいろ謎の部分が多い人物ですが、吉川英治は、岩国市出身としています。
錦帯橋の畔の柳や燕を相手に「燕返し」を編み出したと思いたいですね。
長い刀がかっこいいです。





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