ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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廣田 弘毅
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廣田 弘毅 像
(福岡市 中央区 福岡市美術館前)

廣田 弘毅(ひろた こうき)
(1878年(明治11年)1948年(昭和23年))
明治-昭和時代前期の外交官,政治家
第32代内閣総理大臣

撮影日:2008年12月7日
建設年:昭和 57年
分 類:政治家
作 者:緒方 敏雄
評 価:☆☆☆

広田弘毅
「近代日本人の肖像ホームページ」から

明治11年2月14日生まれ。
ソ連大使などを歴任。
斎藤内閣,岡田内閣の外相をへて昭和11年の二・二六事件後首相となり,日独防共協定に調印。
第1次近衛内閣の外相として対中国強硬政策を推進する。
太平洋戦争末期,ソ連を仲介とする和平工作をしたが失敗。
A級戦犯として文官中ただひとり昭和23年12月23日処刑された。
71歳。福岡県出身。
東京帝大卒。
名は「ひろたけ」ともよむ
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎日中戦争において、戦線の拡大に反対でありながら軍部に抵抗出来ず、東京裁判で文官でありながら唯一絞首刑となった点をとらえ、悲劇の外政家としての側面を描き出したのが、城山三郎の『落日燃ゆ』であり、今日におけるような、広田に対する同情的な見方が広まるのに一役買っている。
◎現在の国会議事堂は広田が首相の当時の1936年(昭和11年)に「帝国議会議事堂」として完成しており、現在の議事堂に初めて登壇した首相でもある。
◎戦前唯一の福岡県出身の首相であり、2008年(平成20年)に麻生太郎が就任するまで唯一の福岡県出身首相であった。
◎福岡市中央区の福岡市美術館前に広田の銅像が設置されている。
この像は玄洋社最後の社長であり、戦後には福岡市長を務めた進藤一馬の呼びかけで建立された。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
城山三郎の『落日燃ゆ』の主人公廣田弘毅の像です。
杖を持った堂々とした姿で、やさしい顔が印象的です。

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東郷 平八郎
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東郷 平八郎 像
(福岡市博多区 東公園)

東郷 平八郎 (とうごう へいはちろう)
(1848年-1934年(昭和9年))
明治-大正時代の軍人

撮影日:2008年12月6日
建設年:昭和10年
分 類:軍人
評 価:☆☆☆

東郷平八郎
「近代日本人の肖像ホームページ」から

薩摩鹿児島藩士。
維新後イギリスに留学。
日清戦争では浪速艦長。
日露戦争では連合艦隊司令長官として、旅順港封鎖作戦、日本海海戦を指揮。
バルチック艦隊を撃滅し、「東洋のネルソン」と称された。
海軍大将、元帥。
昭和9年5月30日死去。88歳。
【格言など】皇国の興廃この一戦にあり各員いっそう奮励努力せよ(バルチック艦隊との交戦にあたり)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎一般に寡黙、荘重という印象があるが時として軽忽な一面もみせた。
晩年学習院に招かれた際、講演中に生徒に「将来は何になりたいか」と質問し「軍人になりたい」と答えた生徒に「軍人になると死ぬぞ」 「なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と発言し、陸軍大将であり、諧謔のセンスの乏しい乃木希典院長を激昂させ、同時に半ば呆れさせたというエピソードがある。
◎昭和天皇は学習院時代、院長であった乃木希典については「印象深く、尊敬もしている」と述べているが、東宮御学問所総裁であった東郷については、後年、記者の質問に「何の印象もない」と答えている。
◎錬度を上げることに熱心で聯合艦隊解散の辞に「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」という言葉を残している。

「東郷の郵便切手」
逓信省(現在の日本郵便)が1937年(昭和12年)に発行した普通切手のうち、当時の封書基本料金用の4銭切手に東郷の肖像が使われている。
その後、郵便料金の改定に伴い5銭と7銭の額面の切手が発行されている。
4銭(1937年発行)
4銭(1937年発行)
5銭(1942年発行)
5銭(1942年発行)
7銭(1944年発行)
7銭(1944年発行)
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感 想]
看板になぜここに東郷平八郎像があるか詳しく書いてありました。
東公園にある日蓮銅像と亀山銅像を二度参拝されたことからだそうです。
軍服をきた凛々しい顔が印象的です。
DSCN8600.jpg
日蓮銅像と東郷平八郎像

川上 音二郎
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川上 音二郎 像
(福岡県 福岡市博多区 上川端町)

川上 音二郎 (かわかみ おとじろう)
(1864年-1911年)
明治時代の俳優、興行師

撮影日:2008年12月6日
建設年:昭和62年
分 類:俳優
評 価:☆☆☆

川上音二郎
「近代日本人の肖像ホームページ」から

落語家桂文之助に入門、時局諷刺のオッペケペ節で人気をえる。
明治24年書生芝居を旗揚げし、「日清戦争」などで当たりをとり新派の基礎をきずく。
27年貞奴と結婚。29年東京神田に川上座を創設。
のち貞奴らと欧米を巡業し、36年正劇と称し「オセロ」などの翻訳劇を上演。
41年帝国女優養成所を開設。
明治44年11月11日死去。48歳。筑前(福岡県)出身。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感 想]
扇子を掲げたポーズが決まっています。
台座に書かれたオッペケペ節の歌詞もおもしろいです。

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