ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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良寛
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良寛 像
(新潟県 新潟市 古町)

良寛(りょうかん)
(1758年-1831年)
江戸時代中期-後期の僧,歌人,書家

撮影日:2009年3月23日
建設年:平成12年
分 類:僧
作 者:茂木 弘次
評 価:☆☆☆

宝暦8年生まれ。曹洞宗。
越後(新潟県)出雲崎の名主の子。
備中(岡山県)円通寺の国仙の法をつぐ。
のち帰郷して国上山の五合庵にすみ,托鉢の合間に詩歌や書をたのしんだ。
詩集に「草堂集」,歌集に弟子の貞心尼編「蓮の露」がある。
天保2年1月6日死去。74/75歳。
【格言など】うらを見せおもてを見せて散るもみぢ(辞世)

良寛の名は、子供達を愛し積極的に遊んだという行動が人々の記憶に残っている。
良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたという)。
名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。
ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子供達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。
しかし、日が暮れて暗くなり、子供達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。
翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、「静かに!そんな大声を出せば、子供達に見つかってしまうではないか」と言ったという。
このような類いの話が伝えられ、子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
小さい像と詩碑が一体となっています。
小さいですが良寛の特徴がよく表現されています。

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神武天皇 2
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神武天皇 像 2
(新潟県 新潟市中央区 白山公園)

撮影日:2009年3月23日
分 類:天皇
評 価:☆☆☆

[感  想]
新潟県白山公園におられます。
1の像とは違い、スリムな像です。
こちらの像にも鳥がとまっています。
地球の上に乗っている姿が印象的です。


神武天皇
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神武天皇 像
(徳島県 徳島市 眉山町)

神武天皇(じんむてんのう)
(紀元前711年-紀元前585年)
日本の初代天皇
日本神話以降に相当するとされる初代天皇。

撮影日:2007年11月16日
建設年:明治30年
分 類:天皇
作 者:永尾 長左衛門
評 価:☆☆

神武天皇
月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」。
明治時代初期の版画
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

即位したとされる2月11日は日本国が建国された日とされ、第二次世界大戦前は紀元節、戦後も建国記念の日として祝日である。
神武天皇が実在したかについては歴史学的には否定的見解が強い。
『古事記』には神倭伊波礼琵古命とあり、
『日本書紀』には神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)

日清戦争の記念に明治30年に建立された。

[感 想]
徳島の眉山中腹にあります。
杖に鳥が留まっているのが、特徴的な像です。
明治30年建立とは、古いですね。
100年以上も経っています。

楠木 正隆
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楠木 正隆 像
(新潟県 新潟市中央区 白山公園)

楠木 正隆
(1838年-1902年)
政治家

楠木 正隆
楠木 正隆
「大村市ホームページ」から

新潟県令として、第四国立銀行(現在の第四銀行)の設立、県議会の開設、日本で始めての国立公園である「白山公園」を開設するなど、新潟県の近代化に尽力した。
1893年 衆議院議長となる。

撮影日:2009年3月23日
建設年:昭和55年
分 類:政治家
作 者:高橋 洋
評 価:☆☆☆

[感  想]
髭の生えた端正な顔とポーズがよく決まっています。

八木 朋直
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八木 朋直 像
(新潟県 新潟市中央区 西海岸公園)

八木 朋直(やぎ ともなお)
(1840年-1929年)

撮影日:2009年3月23日
建設年:昭和42年
分 類:政治家
評 価:☆☆

八木 朋直
八木朋直肖像
新潟市歴史博物館

初代萬代橋の架設に尽力し、第3代新潟市長、第四国立銀行頭取、県会議員などを務めた。

[感  想]
聡明なお爺さんという感じです。

八田 三喜
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八田 三喜 像
(新潟県 新潟市中央区 西海岸公園)

八田 三喜(はった みき)
(1873年 - 1962年)
教育者

撮影日:2009年3月23日
建設年:昭和46年
分 類:教育者
評 価:☆☆☆

八田 三喜

金沢出身。
東京帝国大学文科大学哲学科卒。
新潟県立佐渡中学校の校長を経て、東京府第三中学校(現・両国高校)の校長に就任。
厳しいながらも生徒の自律精神を高める教育をおこない、府立三中の基礎を築いた。
府立三中の校長を18年続けた後、1919年に旧制新潟高等学校の初代校長となり、「自由・進取・信愛」をモットーに学校発展に尽力した。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
チョビ髭が似合うりりしい顔が印象的です。

川村 修就
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川村 修就 像
(新潟県 新潟市中央区 西海岸公園)

川村修就(かわむら ながたか)
(1795年‐1878年)
江戸時代後期の武士

撮影日:2009年3月23日
分 類:武士
評 価:☆☆☆

寛政7年生まれ。
幕臣。老中水野忠邦にとりたてられ,天保(てんぽう)14年初代新潟奉行となる。
消防制度の確立,砂防林の造成,風紀の粛正などにつとめた。
のち大坂西町奉行,長崎奉行などを歴任。
明治11年死去。84歳。通称は清兵衛。号は精斎。

[感  想]
初代新潟奉行の名の通り、刀を差した姿が印象的です。

竹内 式部
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竹内 式部
(新潟県 新潟市中央区 二葉公園)

竹内式部(たけのうち しきぶ)
(1712年‐1768年)
江戸時代中期の神道家

撮影日:2009年3月23日
分 類:思想家
評 価:☆☆☆

正徳2年生まれ。
京都で儒学,垂加神道をまなび塾をひらく。
尊王論を主張し,門下の公卿が桃園天皇に「日本書紀」神代巻を進講したことから,宝暦9年重追放となった(宝暦事件)。
また明和事件に連座して八丈島に流される途中,明和4年12月5日三宅島で病没した。56歳。越後(新潟県)出身。著作に「奉公心得書」など。

[感  想]
小ぶりな像ですが、正座した凛とした姿が印象的です。

荻野 久作
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荻野 久作 像
(新潟県 新潟市 オギノ通り)

荻野久作(おぎの きゅうさく)
(1882年‐1975年)
明治-昭和時代の産婦人科医

撮影日:2009年3月23日
建設年:平成14年
分 類:医師
作 者:高橋 洋
評 価:☆☆☆

荻野 久作
荻野 久作
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

明治15年3月25日生まれ。
新潟の竹山病院につとめながら月経周期に関する研究をつづけ,昭和5年ドイツの雑誌に論文「排卵日と受胎日」を発表,国際的な反響をよぶ。
この学説はオギノ式として避妊に利用される。
日本産婦人科学会名誉会長,世界不妊学会名誉会長。
昭和50年1月1日死去。92歳。愛知県出身。
東京帝大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
新潟市のオギノ通りの一角が公園みたいになっており、そこにおられます。
診療中の姿のようです。





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