ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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浦上 敏朗
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浦上 敏朗 像
(山口県 萩市 萩美術館・浦上記念館)

浦上 敏朗(うらがみ としお)
(1926- )
実業家

撮影日:2010年8月14日
分 類:実業家
作 者:澄川 喜一
評 価:☆☆☆

萩美術館・浦上記念館名誉館長。
山口県立萩美術館・浦上記念館は、浮世絵版画と東洋陶磁器を専門としており、萩市出身の実業家浦上敏朗が山口県に寄贈したコレクションをもとに1996年に開館した。

[感  想]
萩美術館で開催されていた棟方志功展を見に行った時、美術館の玄関で見つけました。
胸像で、作者の澄川喜一は、東京スカイツリーのデザインを監修した人です。

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佐々木 義彦
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佐々木 義彦 像
(山口県 萩市 江向 中央公園)

佐々木 義彦(ささき よしひこ)
(1887年-1975年)
昭和時代の経営者

撮影日:2010年8月13日
建設年:昭和44年
分 類:実業家
評 価:☆☆☆

明治20年8月8日生まれ。
台湾銀行ロンドン支店長,鈴木商店理事をへて帝人,日本製粉の取締役をつとめる。
昭和22年帝国繊維社長。
25年東邦レーヨンの社長36年会長。
昭和50年2月8日死去。87歳。
山口県出身。神戸高商(現神戸大)卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
萩の市民野球場跡地の公園にあります。
萩市小畑出身で、生家にあった銅像が移築されたそうです。
表情がリアルに表現されたしっかりとした像です。

水木 しげる 5
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水木 しげる 像 5
(鳥取県 境港市 水木しげる記念館前)

撮影日:2010年8月11日
分 類:漫画家
評 価:☆☆☆

「のんのんばあとオレ(水木しげる)」
のんのんばあとは境港の方言で信心深いおばあさんという意味。水木しげる先生が幼少の頃から子守をしてもらっていたおばあさんで、水木少年に大きな影響を与えた。妖怪やお化け、地獄の話を日常の中で教えてくれ、水木漫画の原点にもなった人。
「境港市観光ガイド」から

[感  想]
少年時代の水木しげるの像。
のんのんばあが妖怪みたいですが…

水木 しげる 4
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水木 しげる 像 4
(鳥取県 境港市 水木しげる記念館前)

撮影日:2010年8月11日
分 類:漫画家
評 価:☆☆☆

「山高帽の水木先生」
山高帽にモーニング姿の水木先生の像は、1991年に紫綬褒章を授与された時をモチーフにしており、胸には勲章、肩には目玉おやじが乗っている。
水木しげる記念館の前庭に設置され、右側台座についているハンドルを回すと「ぐるぐるガイド木札」を挿すと水木しげる記念館の案内音声ガイドと水木先生の声が聞けるようになっている。
「境港市観光ガイド」から

[感  想]
正装の水木しげるの像。
肩に載った目玉おやじがいいです。

水木 しげる 3
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水木 しげる 像 3
(鳥取県 境港市 水木ロードポケットパーク)

撮影日:2010年8月11日
建設年:平成21年  
分 類:漫画家
評 価:☆☆☆

「水木しげる氏顕彰像」
水木しげる先生の功績を讃え、平成21年3月8日87歳のお誕生日に建立された顕彰像です。
石碑には先生の名言「なまけものになりなさい」が刻まれています。
「境港市観光ガイド」から

[感  想]
石をくり抜いた中の像。
石碑の「なまけものになりなさい」という言葉がいいです。

水木 しげる 2
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水木 しげる 像 2
(鳥取県 境港市 水木しげるロード)

撮影日:2010年8月11日
建設年:平成22年  
分 類:漫画家
評 価:☆☆☆

水木しげる

「水木しげる夫妻」
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の放送を祝し、水木しげる先生平成22年3月8日の88歳の御誕生日にJR境港駅前に建立された像です。
像の後にある石碑には 「人生は・・・終わりよければ、すべて よし!」と刻まれています。
「境港市観光ガイド」から

[感  想]
水木しげる夫婦の仲睦まじい姿の銅像です。

水木しげる 1
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水木しげる 像 1
(鳥取県 境港市 JR境港駅前)

水木しげる(みずき しげる)
(1922-)
漫画家

撮影日:2010年8月11日
分 類:漫画家
評 価:☆☆☆

大正11年3月8日生まれ。
復員後,紙芝居をかき,昭和32年貸本漫画の「ロケットマン」でデビュー。
40年「テレビくん」で講談社児童まんが賞。
「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで人気作家となる。
自分の体験をふまえた戦記物もおおい。
平成10年児童文化功労賞。
19年「Non Non Ba(のんのんばあとオレ)」がフランス国際漫画大賞。
21年朝日賞。鳥取県出身。武蔵野美術学校(現武蔵野美大)中退。
本名は武良(むら)茂。著作に「妖怪事典」など。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

水木しげるロード(みずきしげるロード)
日本の鳥取県境港市にある商店街の名称。
漫画家・水木しげるが描く妖怪の世界観をテーマとした観光名所である。
境港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間に、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像が設置されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

「水木しげる先生執筆中」
これは、水木先生が30~40代の頃をモチーフにした執筆中の像。
机の周りには、次はどんな妖怪が出てくるのか気になるようすの鬼太郎。
「自分の出番をもっと増やして」と、せがむねずみ男。
そして、そんなやりとりを見守る目玉おやじが楽しそうに再現されている。
目には見えないが、先生の周りにはもっと多くの妖怪たちが自分の出番を待っているのかも知れない。
「境港市観光ガイド」から

[感  想]
NHK朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の影響で、平日にかかわらず朝から水木しげるロードは、たくさんの人でした。
1番目の水木しげるは、駅のすぐそばに有り、水木しげるロードで1番最初の像です。
30~40代の頃の像で、鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男と主要な妖怪が脇を固めています。

玄丹 かよ
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玄丹お加代 像 
島根県松江市灘町 白潟公園(宍道湖畔)

玄丹 かよ(げんたん かよ)
(1842年-1918年)
芸者

撮影日:2010年8月10日
分 類:その他
評 価:☆☆☆

天保13年10月生まれ。
慶応4年山陰道鎮撫使西園寺公望一行が松江藩問責のため進駐した際,一行の無理難題と乱暴狼藉を,侠気と機転により懐柔したとされる。
永井瓢斎「鎮撫使さんとお加代」により小説化された。
大正7年8月7日死去。77歳。出雲(島根県)出身。
本名は錦織加代。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

大政奉還の翌年慶応4年(1868年)官軍は、西園寺公望を総督とする山陰道鎮撫使を派遣した。
一行の目的は佐幕的態度のあった松江藩を糾弾するものであったので、松江に入った彼らは無理難題を吹きかけ、傍若無人の振舞をした。
これに対し松江藩はひたすら恭順の姿勢をとり、家老大橋茂右衛門の切腹をもって事態の解決を図ろうとした。
お加代は鎮撫使一行約2000人のあらくれどもを慰安する酌婦の一人となった。
宴席に出たお加代は、副使の川路利恭が座興で刀にかまぼこを刺して突き出したのを、平然と口で受け取り、酒も所望したという。
かくして川路に取り入って、家老大橋の危急を救ったと言われる。(松江観光事典より) 

[感  想]
かくしゃくとした感じで、前をしっかり見つめる像です。
台座には、宴席の様子をあらわしたレリーフがはめ込まれています。

若槻 礼次郎
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若槻 礼次郎 像
(島根県 松江市 殿町 島根県庁前)

若槻 礼次郎(わかつき れいじろう)
(1866年-1949年)
政治家
内閣総理大臣(第25・28代)

撮影日:2010年8月10日
建設年:昭和36年  
分 類:政治家
作 者:藤川 勇造
評 価:☆☆☆

若槻礼次郎1

若槻礼次郎2
「近代日本人の肖像ホームページ」から

慶応2年2月5日生まれ。
出雲松江藩士奥村仙三郎の次男。
叔父若槻敬の養子。
大蔵次官をへて,貴族院議員。
第3次桂,第2次大隈内閣の蔵相をつとめ,加藤高明内閣では内相として普通選挙法,治安維持法を成立させた。
大正15年憲政会総裁となり,第1次若槻内閣を組閣。
昭和5年ロンドン海軍軍縮会議首席全権。
6年第2次若槻内閣を組閣したが,満州事変後の閣内不一致のため総辞職。
昭和24年11月20日死去。84歳。帝国大学卒。号は克堂。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎若槻は事務能力に秀でた政治家であった。
矢田挿雲は「私生活の話のうちに、毎晩12時頃帰宅して熱燗を一本傾けながら百本以上の私信を処理し『我が妻よ、御身もし余を愛するならば、余に話しかけて余の仕事を妨ぐる勿れ』と箝口令を発布する由が出て居た。非常に事務的な正覚坊と謂ひ得る」と書いている。
◎ロンドン海軍軍縮会議の首席全権になった際、「骸骨が大砲を引っ張っても仕方がない」と国力と調和した軍備を訴え、右翼から攻撃されている。
◎大正天皇崩御時の首相であるが、若槻の次に島根県から首相になった竹下登は昭和天皇崩御時の首相である。
◎学生時代
・東京では大学予備門に通っていた岸清一(のち法学博士)の下宿へ転がり込んだ。
岸とは血のつながりはないが、近い親類であった。
やがて狭い下宿を見つけて、そこへ移った。
・司法省法学校の入学試験というのは論語、孟子の解釈と、資治通鑑の白文訓点の二課目だった。
・高等学校でも、大学でも、常に首席であった。
荒井賢太郎と安達峰一郎とが、あるときは安達が二番、あるときは荒井が二番というようなことだった。
・明治25年(1892年)7月、帝国大学法科を98点5分という驚異的な成績を残し、首席で卒業した。
同期に、後に司法大臣、鉄道大臣を歴任した政党政治家・小川平吉、数期にわたり内務大臣を務めた官僚政治家・水野錬太郎、常設国際司法裁判所所長・安達峰一郎らがいる。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
島根県庁前におられます。
やせた髭の顔が印象的です。
大正、昭和天皇崩御時の首相がどちらも島根県出身という偶然も興味深いです。
近くに建つ銅像の岸清一とも親交があったようです。

松平 直政
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松平 直政 像
(島根県 松江市 殿町 松江県庁前)

松平 直政(まつだいら なおまさ)
(1601年-1666年)
江戸時代前期の武将、大名

撮影日:2010年8月10日
建設年:平成21年  
分 類:武将
作 者:米原 雲海
(倉澤 實:復元銅像制作)
評 価:☆☆☆☆

慶長6年8月5日生まれ。
結城秀康の3男。
徳川家康の孫。
大坂冬の陣に14歳で初陣。
元和2年兄松平忠直から越前木本に1万石をあたえられる。
上総姉崎,越前大野,信濃松本をへて,寛永15年出雲松江藩主松平家初代となる。
18万6000石。
国務の要領6ヵ条で藩政の基本をしめした。
寛文6年2月3日死去。66歳。

碑文内容
松平直政公像
松江藩主は、堀尾三代、京極一代、松平十代である。
松平家初代の直政公は、富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めた。
慶長十九年(1614)大坂冬の陣に際し、母 月照院は、十四歳で初陣する直政に対し「君は徳川家康の孫で、父 結城秀康は名将である。父に劣らぬ奮戦をせよ」と励まし、馬印(隊旗)を縫って与える。
越前隊と加賀隊が先を争って真田丸に進むが、弓銃が激しく撤退する。
その時、一将が進み出る。
見れば直政である。
従士の天方通総は馬を止め矢表に立ち「大将が先がけるとは何事ぞ」と諌めるが、直政は更に進む。
通総は再び矢表に立ち塞がる。
何度も矢表を争う主従を見た城将 真田幸村は、直政の勇気と従士の忠義を賞し、弓銃を撃たせず、主従の武士道の誠を讃え、櫓より軍扇を投げ与える。
この美談徳目は、時代を越えて輝き、郷土の先人は感嘆し銅像建立へと進んだ。
明治から大正にかけて小銅像が制作され、昭和二年に米原雲海作の直政公初陣像が松江城本丸に建立される。
昭和十八年戦時により供出される。
その後、再建の気運が高まり昭和五十二年、松平直政公像再建委員会が設置され、平成二十年、同建設委員会が設置される。
銅像制作は、二科会理事の倉澤實氏による。
平成二十一年十一月吉日 松江開府四百年祭・市制施行百二十周年事業
松平直政公銅像建設委員会・松江市

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金属供出される前の初代銅像の絵はがきがありました。
「城山天主閣前松平直政公銅像」
松平家は直政に始まり、明治4年廃藩置県にいたるまで、10代に渡り234年間藩主を務めました。
昭和2年松江松平家初代藩主直政公の銅像が天守閣の袂に建立された。
大阪冬の陣で真田幸村の陣に馬を躍らせる弱冠14歳の直政初陣の様子といわれる。
安来市出身の米原雲海・弟子の石本暁海の作。
大正6年当時の絵葉書にはすでに「直政公銅像建設地」の看板が写っているのでかなり前より計画していたようである。
これは、直政公銅像建立記念の絵葉書である。
惜しくも、昭和18年戦時中の金属供出により撤去された。
60数年を経て、平成21年県庁前に市民の熱意により当時の銅像が復元された。
「松江絵葉書ミュージアム」から

[感  想]
大阪冬の陣で真田幸村と戦った14歳の初陣の様子を表した像。
馬上で弓矢を持ち、天を見上げる姿は、堂々としています。
60数年を経ての復元は、うれしいです!





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