ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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杉 亨二
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杉 亨二 像
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

杉 亨二(すぎ こうじ)
(1828年-1917年)
幕末-明治時代の統計学者

撮影日:2010年11月21日
分 類:統計学者
評 価:☆☆☆

杉 亨二
杉 亨二
「財団法人 日本統計協会ホームページ」から

文政11年10月10日生まれ。
蘭学をまなび,幕府の蕃書調所の教官となり,西洋統計学を独学。
維新後,新政府の統計院大書記官などをつとめ,明治5年日本最初の官製統計年鑑「辛未(しんび)政表」,15年初の人口調査「甲斐国(かいのくに)現在人別調」をまとめた。
明六社社員として啓蒙活動にあたった。
大正6年12月4日死去。90歳。肥前長崎出身。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

杉亨二の胸像が出身地である長崎市の長崎公園内にあり、長崎市統計課が杉の命日(12月4日)に献花式を毎年行っている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
少し上を見上げた上半身の像は、かなり晩年のころの姿だと思われます。
毎年銅像に献花式が有るのも珍しいと思います。

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本木 昌造
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本木 昌造 像
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

本木 昌造(もとき しょうぞう)
(1824年-1875年)
江戸後期-明治時代の通詞,技術者。

撮影日:2010年11月21日
建設年:昭和29年
分 類:通詞,技術者
評 価:☆☆☆

本木 昌造
本木 昌造
「宮崎徹が教える書体の世界ホームページ」から

文政7年6月9日生まれ。
オランダ通詞本木家の養子。
造船,航海術などをまなび,万延元年(1860)長崎製鉄所御用掛,のち頭取となる。
明治2年アメリカ人技師ガンブルをまねいて活字鋳造に成功。
翌年長崎に民間初の活版所をひらいた。
明治8年9月3日死去。52歳。肥前長崎出身。
本姓は北島。名は永久。号は梧窓,点林堂。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
長髪で袴を着て、すっと立っている感じの像です。

上野 彦馬
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上野 彦馬 像
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

上野 彦馬 (うえの ひこま)
(1838年-1904年)
幕末-明治時代の写真家

撮影日:2010年11月21日
建設年:昭和26年
分 類:写真家
評 価:☆☆☆☆

上野 彦馬
上野 彦馬
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

天保9年8月27日生まれ。
上野俊之丞の子。
下岡蓮杖とならぶ日本の写真界の先駆者。
オランダ人の医師ポンペに化学を,フランス人ロッシュに写真術をまなぶ。
文久2年長崎にわが国初の写真館を開業。
坂本竜馬,高杉晋作や金星観測,西南戦争などの写真をのこした。
明治37年5月22日死去。67歳。
肥前長崎出身。号は季(李)渓。著作に「舎密(セイミ)局必携」。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

文久2年(1862年)、堀江と共同で化学解説書『舎密局必携』を執筆した。
同年、故郷の長崎に戻り中島河畔で上野撮影局を開業した。
ちなみにこれは日本における最初期の写真館であり(ほぼ同時代に鵜飼玉泉や下岡蓮杖が開業)、彦馬は日本における最初期の職業写真師である。
同撮影局では坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

龍馬 上野
坂本龍馬

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高杉晋作

[感  想]
晩年の上野彦馬の姿がリアルに表現されている像です。
門のようなモニュメントも珍しいです。
彼が幕末に志士の写真を撮ったから、坂本竜馬、高杉晋作の銅像が今有ると思うと功績は大きいです。

田口 長治郎
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田口 長治郎 像
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

田口 長治郎(たぐち ちょうじろう)
(1893年(明治26年) -1979年(昭和54年))
政治家

撮影日:2010年11月21日
建設年:昭和50年
分 類:政治家
評 価:☆☆☆

島原市生まれ。
島原中学校から農林省水産講習所へ進み水産学を学び、第二次大戦中から戦後にかけ水産関係の会社へ入社。
その後、衆参両院を通じ25年の議員活動を行う中で、水産関連の法律制定、改正に関わり、全国各地における水産振興の基礎を築いた人物。
また、原爆被災後の戦災復興や都市の近代化の推進にも大きく貢献された。
口癖は「なるほど!」だった。
田口氏のこの銅像は、昭和50年(1975)、水産関係の多くの団体によって建立されたもの。
「長崎webマガジン」から

[感  想]
手を前に組んだ姿ですが、上半身で腰のあたりまである像は珍しいと思います。

松田 源五郎
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松田 源五郎
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

松田 源五郎( まつだ げんごろう)
(1840年-1901年)
明治時代の実業家

撮影日:2010年11月21日
建設年:昭和38年
分 類:実業家
作 者:富永 直樹
評 価:☆☆☆

松田 源五郎
松田 源五郎
「長崎商工会議所ホームページ」から

天保11年4月8日生まれ。
明治9年第十八国立銀行を創立して支配人,頭取となる。
12年長崎商法会議所初代会頭。
「長崎新聞」の創刊や商業学校の創立など,長崎実業界で指導的役割をはたした。
25年衆議院議員。
明治34年3月1日死去。62歳。肥前長崎出身。本姓は鶴野。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[銅 像]
松田源五郎
初代会頭松田源五郎翁の銅像
(軍への供出前のもの)

明治41年8月9日、諏訪公園丸馬場において、初代会頭・松田源五郎翁の銅像除幕式が、荒川知事、北川市長、永見商業会議所会頭ら官財界の知名士1,200余人が参列して盛大に行なわれた。
長崎実業界の先覚者として、財界から一層の活躍を期待されていた松田源五郎翁は、急病により明治34年3月1日逝去。享年61才であった。
なお、この銅像は、太平洋戦争中、金属供出のため撤去されたが、戦後長崎商工会議所と十八銀行が中心になって再建が進められ、長崎市出身の彫刻家・日展審査員の富永直樹氏の彫塑によって、昭和38年4月5日、現位置に復元された。
「長崎商工会議所ホームページ」から

[感  想]
眉毛が下がった優しげな顔が印象的です。

西岡 竹次郎
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西岡 竹次郎
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

西岡 竹次郎( にしおか たけじろう)
(1890年-1958年)
政治家

撮影日:2010年11月21日
建設年:昭和49年
分 類:政治家
評 価:☆☆☆

明治23年5月28日生まれ。
西岡武夫の父。
普選期成同盟会,青年改造連盟に参加して普選運動を推進。
大正13年衆議院議員(当選6回,政友会)。
この間「長崎民友新聞」「佐世保民友新聞」を創刊し社長。
戦後,公職追放ののち昭和26年長崎県知事(当選2回)。
昭和33年1月14日死去。67歳。長崎県出身。早大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
長崎公園の入り口付近におられます。
袴姿の堂々とした像です。

長崎 甚左衛門
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長崎 甚左衛門 像
(長崎県 長崎市 上西山町 長崎公園)

長崎甚左衛門(ながさき じんざえもん)
(1548年-1622年)
江戸時代前期の武士

撮影日:2010年11月21日
建設年:平成7年
分 類:武士
評 価:☆☆☆

天文17年生まれ。
大村純忠の家臣で肥前長崎村の領主。
元亀元年ポルトガル商人と純忠の協約にしたがって長崎を開港し,6町をひらく。
慶長10年長崎村が幕府天領となると,久留米にのがれ,のち肥前時津村にうつった。
元和(げんな)7年12月12日死去。74歳。
名は頼純,のち純景。洗礼名はベルナルド。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
大小の刀を差した武士の姿と首からぶら下げた十字架が印象的な像です。

中山 マサ
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中山 マサ 像
(長崎県 長崎市 東山手町 ラッセル記念館)

中山 マサ(なかやま マサ)
(1891年-1976年)
昭和時代後期の政治家

中山 マサ
1953年4月19日に行われた第26回衆議院議員総選挙で当選したときの中山マサ 右、世界通信より
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

明治24年1月19日生まれ。
中山太郎・正暉の母。
教員生活ののち,昭和22年衆議院議員(当選8回,自民党)となる。
厚生政務次官,党婦人局長などをへて,35年第1次池田内閣の厚相として入閣,わが国初の女性大臣となった。
昭和51年10月11日死去。85歳。長崎県出身。アメリカのウェスリアン大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[感  想]
オランダ坂を上ったラッセル記念館の敷地内におられます。
ウェーブのかかった髪と首飾りが印象的です。





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