ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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李 舜臣
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李 舜臣 像
(韓国 釜山 龍頭山公園)

撮影日:2012年1月7日
分 類:外国人
評 価:☆☆☆

李 舜臣2
李 舜臣(イ・スンシン)
(1545年-1598年)
文禄・慶長の役時の朝鮮の将軍

文禄・慶長の役においては、朝鮮水軍を率いて日本軍と戦った。
死後から20世紀になるまで無名であったが現在の韓国においてはその功績が評価されて国民的英雄となっており、肖像画が紙幣や硬貨に描かれている。
現在、韓国ソウルの官庁街である世宗路には、李舜臣の銅像が建てられている。
これは軍事政権下(1961年 - 1988年)の力の象徴として設置されたと言われる。
なお、世宗路の他にも釜山龍頭山公園や木浦など、朝鮮半島南海岸に数多くの李舜臣の銅像が建てられている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
海外で初めての銅像です。
豊臣秀吉が朝鮮出兵した時に、日本軍と戦った将軍です。
結構な大きさで、迫力があり、釜山タワーとマッチしていい感じです。
雰囲気が日本銅像とはちょっと違った感じです。

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安 煕済
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安 煕済 像
(韓国 釜山 龍頭山公園)

撮影日:2012年1月7日
分 類:外国人
評 価:☆☆☆

安 煕済(アン・フィジェ)
(1885年-1943年)

安煕済氏は、釜山を代表する独立運動家で、教育、言論の世界にいたるまで幅広く活動をした運動家でした。
慶尚南道宜寧郡富田面立山里で生まれた安煕済は、ソウルで勉学を修めた後、故郷で啓蒙活動に勤め、1910年の韓日併合により、国勢が悪化すると、ウラジオストックに渡り、独立運動を開始しました。
ところが、活動を共にする仲間のうち一人が肺結核に倒れると、その仲間の休養を兼ねて気候の暖かい釜山に。
しかし、その当時の釜山は商権までをも日本人が掌握している状況、それを見た安煕済氏は、日本の経済力に対抗するため1914年「白山商会」を設立します。
白山商会は、もともとは穀物と海産物などを売る個人店舗でしたが、その後株式会社になり、規模も大きく拡大します。
安煕済氏はこの「白山商会」での売り上げの一部を上海にあった臨時政府に資金として送金し、独立運動の資金援助をしていました。
また、「白山商会」は独立運動家たちの拠点としても使われて、独立運動のアジトとなっていました。
安煕済氏は独立運動の資金調達だけではなく、釜山市内の韓国人学校の設立要求、優秀な若者を留学に送るなどの教育活動もおこないましたが、「白山商会」は、厳しい取締り、資金の供給と負債のために1937年に倒産し、安煕済氏も釜山を離れることになります。
その後も『中外日報』の社長に就任し、言論を通して総督政治を批判する言論活動、また、1933年には満州にわたり大規模な農場を作り移民者の定着や教育活動、太?教(韓民族の始祖である檀君を祀る韓国固有の宗教)を通した民族独立運動にも力を注ぐなど、投獄生活(1942年に逮捕、1943年に病身保釈)の後、1943年病院で息を引き取るまで、絶え間なく民族独立活動に生涯を捧げました。
「釜山観光旅行ガイド プサンナビ」から

[感  想]
釜山の龍頭山公園の釜山タワーに上がる坂道の前におられます。
釜山出身の独立運動家です。
上半身の像で、きっりとした表情が印象的です。





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