ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

林 勇蔵
DSCN8183_20150208085446f03.jpg

DSCN8190_201502080854533c7.jpg

DSCN8191_20150208085501cd8.jpg
林 勇蔵 像
(山口県 山口市 小郡上郷)

撮影日:2014年11月22日
建設年:昭和46年
分 類:幕末の尊攘運動家
評 価:☆☆☆

林 勇蔵(はやし ゆうぞう)
(1813年-1899年)
幕末の尊攘運動家

文化10年7月16日生まれ。
新田開拓、椹野川堤防工事などにつくし、安政2年(1855)周防(山口県)吉敷郡小郡宰判の大庄屋となる。
元治元年からの萩藩内部抗争では庄屋同盟を結成して改革派を財政的に援助し、勤王大庄屋とよばれた。
明治5年から県租税課につとめ、地租改正にかかわった。
明治32年9月24日死去。87歳。本姓は山田。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

DSCN8175_20150208085432349.jpg

高杉晋作らを支えた小郡の大庄屋
幕末の農民
1813(文化10)年、吉敷郡矢原村(現 山口市)に生まれ、小郡宰判の林家の養子となりました。
上中郷(現 山口市小郡上郷)の庄屋となりますが、当時上中郷は椹野川の洪水によって米を収穫できない年が度々ありました。
勇蔵は1851(嘉永4)年、仁保津の丘の上に水田を作ることを考え、鉱山を掘る技術を取り入れて池や水路用トンネルなど(椎の木峠トンネル)を作り、その後、約10ヘクタールの水田を完成させました。
1855(安政2)年、勇蔵は小郡宰判の大庄屋となりました。
1864(元治元)年、幕府から萩藩征討の命令が出され、藩の主導権を幕府に従う人たちが握り、それに反発して高杉晋作らが挙兵します。
勇蔵は翌年、晋作らの改革派を財政的に援助し、また、庄屋同盟を結成して支え、勤王大庄屋と呼ばれるようになりました。
明治維新後は山口県租税課に勤め、農民のための地租改正の仕組みを作りました。
また、洪水を防ぐため椹野川を改修し、小郡の人々のために力を尽くし、満86歳で亡くなりました。
「山口県の先人学習コーナー」施設内の参考資料 山口県人づくり財団ホームページから

[感  想]
山口市小郡上郷児童館の近くにおられます。
DSCN8177_201502080854392ab.jpg
着物で正座をした姿の像で、前をしっかりと見つめた、きりりとした表情が印象的です。

スポンサーサイト




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。