ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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高杉 晋作 7
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高杉 晋作 像 7
(山口県 下関市 長府 功山寺)

撮影日:2014年12月30日
建設年:昭和47年
分 類:幕末藩士
作 者:般若 純一郎
評 価:☆☆☆☆☆(満点!)

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「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます」
元治元年(1864)12月、雪の長府・功山寺において、
高杉晋作は打倒萩政府の兵を挙げました。
従う者わずかに八十名……。
幕末、アジア諸国を蹂躙した西洋列強は、次に日本を狙っていました。
上海に渡航し、半植民地と化した中国を見て強烈な危機感を抱いた晋作は、攘夷実行のために、身分を問わぬ精鋭部隊「奇兵隊」を結成します。
そして長州藩は攘夷を決行、下関を通過する外国船に砲撃を加えます。
しかし、四カ国連合艦隊の強烈な報復攻撃を受け、
さらに幕府の征討軍を前に、藩は屈服の道を選んだ。
「このままでは長州が、そして日本が滅ぶ」
晋作は奇兵隊に決起を促すが、肯んじる者はいませんでした。
「ならば一人でも起つ!」
晋作の、この捨て身の決断が、奇跡を起こしました。
彼に従う者は次第に増え、ついに晋作らが藩の実権を握るに至ったのです。
長州藩内の動きを察知した幕府は、再び長州征伐の軍を起こし、四境戦争が勃発。
兵の数では数十倍の幕府軍が相手でしたが、晋作らの奮闘でこれを撃退。
幕府の権威は地におち、明治維新に向けての大きな一歩を進めることができました。
それは高杉晋作の一つの決断 から始まったといっても過言ではないでしょう。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と評された晋作。
破天荒で型破りながら、一片の私利私欲もなく、維新回天の事業に短い生涯を捧げた男。
「歴史街道」かわら版 から

[感  想]
下関市長府にある功山寺、
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ここは、
1864年12月15日
高杉晋作が、三条実美ら五卿に
「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます!」
と言いはなち、挙兵したまさにその場所です。
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「回天義挙」の記念碑も入り口にあります。
そして、この高杉晋作騎馬像は、まさにその瞬間をとらえた素晴らしい像です。
桃型の兜を頸に掛け紺糸威の小具足に身を固めた高杉の等身大の銅像です。
高杉晋作という人物、銅像の出来栄え、銅像の建っている場所と全てにおいて満点です!
長州男児として高杉晋作を見習いたいと思います。

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高杉 晋作 6
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高杉 晋作 像 6
(山口県 下関市 竹崎町 竹崎公園)

撮影日:2014年12月30日
建設年:平成21年
分 類:長州藩士
作 者:濵野 邦昭
評 価:☆☆☆

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[銅 像]
「維新の地に晋作記念彫像完成 下関・竹崎公園」
幕末の長州藩士、高杉晋作の生誕170周年を記念した彫像「風の予言者 高杉晋作と奇兵隊」が20日、下関市のJR下関駅近くにある竹崎公園に完成した。現地で除幕式があり、関係者ら約60人が出席した。
ブロンズ製で高さ約3メートルの彫像は、同市の企業や文化団体などでつくる「志士の杜推進実行委員会」が建立。わき上がり、流れていく歴史の雲をつかみ取る高杉晋作を、奇兵隊士に見立てた岩が支える様子を表現している。制作費2500万円は有志から募った。
同実委の山本徹会長は「維新志士たちの息吹を現代によみがえらせた。下関の未来につなげていけたら」とあいさつし、来賓らと除幕。制作を担当した同市出身の彫刻家、濵野邦昭さん(58)は「命を懸けて国を動かした晋作と奇兵隊の彫像。市民の皆さんで新たな命を宿してもらいたい」と話した。同実委の顧問を務める直木賞作家の古川薫さんは「維新胎動の地、下関を象徴するモニュメントになるはず」と期待を寄せていた。
同実委による維新志士のモニュメント建立は、晋作と坂本龍馬の友情をテーマに2003年に同市あるかぽーとに完成した「青春交響の塔」に続いて2点目。除幕後は市に寄贈された。
2009年8月21日(金) 山口新聞掲載

[感  想]
下関市の市街地の竹崎公園におられます。
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「風の予言者」という題が付いています。
穏やかな優しい表情が印象的です。

高杉 晋作 5
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高杉 晋作 像 5
(山口県 下関市 豊前田町 晋作通り)

撮影日:2014年12月30日
建設年:平成元年
分 類:長州藩士
作 者:中村 重雄
評 価:☆☆

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[感  想]
「夢みる晋作像」という題が付いています。
おちょこを手に持った上半身の石像です。

高杉 晋作 4
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高杉 晋作 像 4
(山口県 萩市 呉服町 晋作広場)

撮影日:2011年4月12日
建設年:平成22年
分 類:幕末志士
作 者:江里 敏明
評 価:☆☆☆

高杉晋作肖像(山口県立山口博物館所蔵)
高杉晋作肖像(山口県立山口博物館所蔵)

「生誕の地・萩に初!高杉晋作立志像」
幕末の志士、高杉晋作の銅像「高杉晋作立志像」が、高杉晋作誕生地向かいの晋作広場(呉服町)に完成し、10月31日除幕式が行われました。
式典には、晋作終焉の地・下関市から中尾友昭市長が、またNHK大河ドラマ「龍馬伝」で晋作役を演じた俳優の伊勢谷友介さんらが出席。
銅像を制作した彫刻家の江里敏明さんは「萩に立つ晋作の銅像ならば、立志を立てた20歳頃のまげ姿でなければと思いました」、野村市長は「萩の新しいシンボルとして、多くの皆さんに親しまれてほしい」とあいさつしました。
「萩市ホームページ」から

[感  想]
他の像とは、少し感じが違います。
キリリとした立ち姿が良い若き晋作像です。

高杉 晋作 3
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高杉 晋作 像 3
(山口県 下関市 吉田 東行庵)

撮影日:2014年12月30日
建設年:平成24年
分 類:幕末藩士
作 者:奈部 雅昭
評 価:☆☆☆☆


2014山口新聞
2014年3月31日山口新聞

[感  想]
東行庵に新しく出来た、2番目の銅像です。
資料館間の池のほとりにおられます。
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陶製の2よりすこし、顔の表情が厳しい感じです。

足元に梅の彫刻を発見しました。
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高杉晋作の変名のひとつに谷梅之助が有り、梅が好きだったようで、東行庵にも梅の木が多く有ります。こういった細工は、おもしろいです。


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高杉 晋作 2
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高杉 晋作 像 2
(山口県 下関市 吉田 東行庵)

撮影日:2014年12月30日
建設年:昭和31年
分 類:長州藩士
作 者:伊勢埼 陽山
評 価:☆☆☆☆

幕末志士 高杉晋作1
「下関吉田郵便局風景印」

幕末志士 高杉晋作2
「下関小月郵便局風景印」

[感  想]
下関市吉田の東行庵の敷地内におられます。
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東行庵は、明治17年かつての同士らによって建立されました。
日和山公園の1の像と同じく陶像ですが、こちらの像のほうが小ぶりで、顔がやさしい感じです。

また、ここには、晋作のお墓があります。
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そして有名な、伊藤博文が高杉晋作を評した言葉が書いてある顕彰碑があります。
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「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、
衆目駭然、敢えて正視する者なし。
これ我が東行高杉君に非ずや…」
(一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。
周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。
それこそ我らが高杉さんのことだ)
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東行庵の横には、東行記念館があり、高杉晋作にまつわる品々が展示してあります。
上は、記念館にあった垂れ幕。

2階に長峰武四郎作の「高杉晋作馬上姿像」が展示してありました。
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ぜひ、銅像にしてもらいたいです。


高杉 晋作 1
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高杉 晋作 像1
(山口県 下関市 丸山町 日和山公園)

撮影日:2014年12月30日
建設年:昭和31年
分 類:幕末藩士
作 者:関野 聖雲(原型)
    伊勢崎 陽山
評 価:☆☆☆☆

高杉晋作
「近代日本人の肖像ホームページ」から

高杉晋作(中央)と伊藤博文(右)(左の少年は山田顕義)
高杉晋作(中央)と伊藤博文(右)(左の少年は山田顕義)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

高杉 晋作(たかすぎ しんさく)
(1839年-1867年)
幕末の武士

天保10年8月20日生まれ。
高杉小忠太の長男。長門(山口県)萩藩士。
松下村塾にまなぶ。
文久2年江戸品川のイギリス公使館焼き打ち,3年奇兵隊の創設,第2次幕長戦争での幕府軍撃退など,尊攘運動の先頭にたった。
慶応3年4月14日下関で病没。29歳。
墓所は東行庵(山口県下関市)。
名は春風。字は暢夫。変名は谷梅之助,谷潜蔵。号は東行。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[銅 像]
昭和11年に銅像として建てられましたが、戦時の金属不足から徴収され失われました。
戦後の昭和31年に、没後90年を記念して備前焼の陶像として再び建立。
備前焼の陶像としての大きさも日本一です。

幕末志士 高杉晋作4
「下関丸山郵便局風景印」

幕末志士 高杉晋作3
「下関豊前田郵便局風景印」

[エピソード]
◎人物評
伊藤 博文
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」

中岡 慎太郎
「胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以って人に打ち勝つものは高杉東行(晋作)、是れ亦洛西の一奇才」

勝 海舟
「年は若し、時が時だったから、充分器量を出さずにしまったが、なかなか活気の強かった男さ」(海舟言行録)

◎高杉は長身ではなく小柄であり本人もそれを気にしていたため直立して撮った写真は現存しない。また小柄ではあったが長い刀を好んで愛用していた。
その姿は刀が長いため引きずって歩いているように見えたという。

◎師である吉田松陰は高杉の非凡さを逸早く見抜き、剣術ばかりであまり学業に本腰を入れない高杉を奮起させるためあえて、同門で幼馴染でもある優秀な久坂ばかりをべた褒めしたという。
高杉は悔しさをバネに自身の非凡さを発揮。久坂と肩を並べお互いを切磋琢磨しあうなどとても優秀であったという。

◎公金と私金の区別がつかない(つけない?)人物だった。
藩の金で軍艦を二度、購入しようとしたこともある。

◎一度日本に駐在していた英国人兵に頼まれ刀を見せた事があったが、武士の魂ともいえる刀を物めずらしいと何度も見せてくれと言われその事を遺憾に感じた高杉はそれ以後決して見せる事は無かったという。

◎高杉が上海で購入したピストルが、坂本龍馬に贈られたという。
S&W モデル
◎のちに伊藤博文は彦島の前を船で通過した際、「あのとき高杉が租借問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう」と語っている。

◎都々逸「三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい」(添寝の部分が『朝寝』とされていることもある)は一般に晋作の作であると言われている(木戸孝允作の説も有り)。この都々逸は、現在でも萩の民謡である「男なら」や「ヨイショコショ節」の歌詞として唄われている。

◎辞世の句
「おもしろき こともなき世に おもしろく」
辞世の句は「おもしろきこともなき世におもしろく」であり、下の句は看病していた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」とつけたと言われている。
また都々逸(どどいつ)の「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」は一般に晋作の作であると言われている。(木戸孝允作の説も有り)この都々逸は、現在でも萩の民謡である「男なら」や「ヨイショコショ節」の歌詞として唄われている。


[感  想]
この像は、下関市の中心街に近い日和山公園にあります。
ここは、高台にあり、関門海峡を見ることができます。
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像は、陶像で、かなりの大きさが有り、刀を手に持った立ち姿は、りりしく顔は少し怒ったような感じで、迫力があります。





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