ken's銅像探索日誌
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渋沢 栄一
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渋沢 栄一 像 
(東京都 千代田区 大手町 常磐橋公園)

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
(1840年-1931年)
明治-大正時代の実業家
日本資本主義の父と呼ばれる

撮影日:2007年6月5日
建設年:昭和30年
分 類:実業家
作 者:朝倉文夫
評 価:☆☆☆

渋沢栄一
「近代日本人の肖像ホームページ」から

天保11年2月13日生まれ。渋沢敬三の祖父。
生家は武蔵榛沢郡(埼玉県)の名主。
一橋家につかえ,幕臣となる。
慶応3年徳川昭武にしたがって渡欧し,西洋の近代産業や財政制度を見聞。
維新後,大蔵省にはいり,財政・金融制度などを立案。
明治6年退官後,第一国立銀行のほか,王子製紙,大阪紡績などの設立に関与。
引退後は社会事業につくした。
昭和6年11月11日死去。92歳。号は青淵。著作に「徳川慶喜公伝」など。
【格言など】正しい道徳の富でなければ,その富を永続することができぬ(「論語と算盤(そろばん)」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆渋沢栄一は江戸時代末期の天保11年(1840)武蔵国(現・埼玉県深谷市)に生まれ、のちに一橋慶喜に従って幕臣となります。
明治維新以後は政府の官僚として財務・経済政策に携わりますが、大隈重信らとの対立を契機として下野し、実業家として数多くの民間企業の設立や金融業の指導に尽力。
日本資本主義経済の父と呼ばれています。
また慈善事業や民間レベルの外交活動にも尽くすなど活動は幅広く、2度ノーベル平和賞候補になっています。
亡くなったときは91歳という長寿でした。
像は東京駅丸の内口から少し歩いた首都高速近くの常盤橋公園にあります。
この像は2代目で、初代は朝倉文夫の製作により昭和8年(1933)11月11日(渋沢の命日)に完成。
現在と同じ場所に建立されましたが、大戦時の金属供出により失われ、昭和30年に再び朝倉文夫の製作で再建されたものです。
また生誕地である埼玉県深谷市には、深谷駅前の和服姿の座像、旧渋沢邸にある立像のほか多数の像があります。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[功績・エピソード]
◎第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。
また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。
第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上とされている。
◎「渋沢財閥」を作り巨富を得ることも当時の栄一には簡単に出来たのであろうが、「私利を追わず公益を図る」考えを自身も生涯に渡って貫き通したのである(GHQが財閥解体を命じた時、岩崎家(三菱)の総資産は33億円、一方渋沢家は625万円だった)。
しかし、三井、三菱、住友、古河、大倉などの財閥系ですら男爵どまりであったが、栄一ただ一人が経済人では最高位の子爵を授かった。
◎栄一は実業界の中でも最も社会活動に熱心で、東京市からの要請で養育院の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり、キリスト教徒でもないのに救世軍を支援したほか、関東大震災の復興のために、大震災善後会副会長となり、寄付金集めなどに奔走した。
◎当時は商人に高等教育はいらないという考え方が支配的だったが、商業教育にも力を入れ商法講習所(現一橋大学)、大倉喜八郎との関係で大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力したほか、創立者大隈重信との関係で早稲田大学、創立者三島中洲との親交で二松学舎(現二松学舎大学)、野田(大塊)卯太郎との誼で国士舘大学(創立者・柴田徳次郎)、井上馨に乞われ同志社大学(創立者・新島襄)の寄付金の取り纏めに関わった。
また、商人同様に教育は不要であるとされていた女子の教育の必要性を考え、伊藤博文、勝海舟らと女子教育奨励会を設立、成瀬仁蔵らとともに日本女子大学校、伊藤博文との関係で東京女学館の設立に携わった。
◎若い頃は固陋なナショナリストであったが、「外人土地所有禁止法」(1912年)に見られる日本移民排斥運動などで日米関係が悪化した際には、対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案、成功はしなかったがこれが現在の時事通信社と共同通信社の濫觴となる。
◎日本国際児童親善会を設立し、日本人形とアメリカの人形(青い目の人形)を交換するなどして、交流を深めることに尽力している。
青い目の人形
渋沢と青い目の人形
◎1926年と1927年にはノーベル平和賞の候補にもなった。
◎日本史上を代表する経済人として、日本銀行券(紙幣)の肖像の候補者として過去に何回か挙げられたものの実現に至っていない。
特に、日本銀行券C千円券(1963年11月1日発行開始)の肖像候補として最終選考に残ったが、結局、伊藤博文が採用された。
当時は偽造防止に、肖像にヒゲがある人物が用いられていたためである。
◎居合の達人。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
銅像を見た時は、渋沢栄一という名前は知らず、
おじさんだなあと思っただけでしたが、
功績を調べてみると、今の日本を造った、まさに「日本資本主義の父」。
偉大な人物です。

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