ken's銅像探索日誌
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陸奥 宗光
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陸奥 宗光 像
(山口県 下関市 阿弥陀寺町 日清講和記念館)

陸奥 宗光(むつ むねみつ)
(1844年-1897年)
明治時代の政治家、外交官

撮影日:2007年11月13日
建設年:昭和13年
分 類:政治家、外交官
作 者:河内山 賢祐
評 価:☆☆☆

陸奥宗光
「近代日本人の肖像ホームページ」から

天保15年7月7日生まれ。
伊達宗広の6男。
坂本竜馬の海援隊に参加。
維新後新政府につとめたが,明治10年の土佐立志社事件により5年の刑に服す。
のち駐米公使,農商務相をへて,25年第2次伊藤内閣の外相。
27年日英条約改正に成功し,同年の日清開戦から三国干渉にいたる難局に対処した。
明治30年8月24日死去。54歳。
紀伊和歌山出身。通称は陽之助。
著作に「蹇蹇録(けんけんろく)」。
【格言など】他策なかりしを信ぜむと欲す(「蹇蹇録」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎後妻の陸奥亮子は「鹿鳴館の華」「在米公使館の華」と呼ばれた美貌の女性である。
◎陸奥宗光が、藩閥打倒、議会民主主義の未達成を嘆きつつ死んだ時、西園寺公望は「陸奥もとうとう冥土に往ってしまった。藩閥のやつらは、たたいても死にそうもないやつばかりだが・・・」と言って、周囲の見る目も痛わしいほど落胆したという。
◎「政治はアートなり。サイエンスにあらず。巧みに政治を行い、巧みに人心を治めるのは、実学を持ち、広く世の中のことに習熟している人ができるのである。決して、机上の空論をもてあそぶ人間ではない」と自著『蹇々録』の中で語っている。
◎坂本龍馬が船中八策を西郷隆盛に提示した際、「わしは世界の海援隊をやります」と発言した場に同席し非常な感銘を受け、後世ことあるごとに回想を語ったとされている。しかしこれは西郷と龍馬のやりとりも含めた後世の創作ともいわれる。

※日清戦争後は伊藤博文とともに全権として1895年(明治28年)下関条約を調印し、戦争を日本にとって有利な条件で終結させた。
講和会議が行われた割烹旅館「春帆楼」の敷地内には1937年に日清講和記念館が設置され、会議に関係する資料が公開されているほか、館内には会議の様子が再現されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
日清講和記念館の横に伊藤博文と並んでおられます。
2人の偉人が並んでいる像というのも珍しいです。
髭が特徴ある像です。
妻の陸奥亮子の美貌も気になるので、調べてみました。
確かに美しいですね。
180px-RyokoMutsu.jpg
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