ken's銅像探索日誌
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亀山天皇
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亀山天皇 像
(福岡県 福岡市博多区 東公園)

亀山天皇(かめやまてんのう)
(1249年−1305年)
鎌倉時代の第90代天皇
(在位:1259年−1274年)。

撮影日:2007年12月4日
建設年:明治37年
分 類:天 皇
作 者:山崎 朝雲
評 価:☆☆☆
[略 歴]
後嵯峨天皇の第3皇子で、母は西園寺実氏の娘キツ子。
同母兄の後深草天皇の皇太子となり、1259年に即位。
1268年(文永五年)に高麗から使者が来て、蒙古皇帝フビライハーンからの国書を大宰府に提出した。
その国書を幕府は朝廷に奏上したが朝廷は返書を出さないことに決定した。
この後幕府は西国の御家人らに警戒を呼びかけた。
朝廷は諸国の寺社に対して「敵国降伏」の祈祷を行うよう命じた。
この後日本国は朝野をあげて「敵国降伏」の祈願をすることになる。
しかし、ついに1274年(文永11年)10月蒙古の大軍が襲来(文永の役)した。
いずれも日本軍との戦闘方式が異なるなど、日本軍の劣勢であった。
「国難至る」の報は全国にもたらされた。
その功があってか蒙古の兵は撤兵した。
一方天皇家では、1272年に後嵯峨上皇が没すると兄後深草上皇を置いて、鎌倉幕府の裁定により亀山天皇がいわゆる「治天の君」となり天皇親政を行った。
1274年に亀山天皇の第2皇子世仁親王(後宇多天皇)に譲位した。
しかし、後深草上皇も幕府に積極的に働きかけて1275年に後深草上皇の第2皇子熙仁親王(伏見天皇)を皇太子に立てた。
この後、1287年に伏見天皇が即位して皇位が「持明院統」に移り優勢になると、亀山上皇は出家した。
「歴代天皇事典」ホームページから

亀山上皇像
像本体4.8m。県指定有形文化財。高村光雲弟子の山崎朝雲によって木彫原型が制作。
福岡警察署長の湯地丈雄が長崎事件(1886年)を期に主唱した元寇記念碑建設運動に端を発し、日露戦争中の1904年(明治37年)12月25日に除幕式が挙行された。

[感  想]
東公園中心の高みにあり、県庁の方を見下ろしておられます。
台座に「敵国降伏」の文字が刻まれてあり、何だろう?と思いましたが、元寇関係ということで納得しました。
亀山えはがき
東公園の亀山上皇像(大正時代〜昭和前期)の絵はがき。
「福岡市博物館ホームページ」から
昔は、絵はがきにもなっていました。

IMG_7708.jpg
福岡県庁に県庁とその周辺の模型がありますが、
亀山上皇像と日蓮像もちゃんと造ってあります。


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