ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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母里 太兵衛 1
IMG_7675.jpg

IMG_7673.jpg
母里 太兵衛 像
(福岡県 福岡市 中央区 西公園光雲神社)

撮影日:2007年12月5日
分 類:武士
作 者:中ノ子 富貴子
評 価:☆☆☆

母里友信
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

母里 太兵衛(もり たへえ)
(1556年-1615年)
織豊-江戸時代前期の武士

弘治2年生まれ。
筑前福岡藩士。
黒田孝高・長政につかえ,先手大将をつとめた。
朝鮮出兵,関ケ原の戦いなどに従軍。
のち嘉麻郡大隈城の城主となる。
福島正則の酒宴で大杯の酒をのみほし,名槍をえたという逸話で知られ,のち黒田節にうたわれた。
慶長20年6月6日死去。60歳。
播磨(兵庫県)出身。名は友信。通称は別に但馬。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「黒田節の逸話」
文禄・慶長の役休戦中の際の出来事とされる。
京都伏見城に滞留中の福島正則の元へ、長政の使者として使わされた友信は、正則の屋敷で酒を勧められる。
友信は家中でも「フカ」と言われるほどの酒豪の者であったが、使者である手前それを固辞した。
しかし本人も酒豪である正則はこれに「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」としつこく勧め、更には黒田武士は酒に弱い、酔えば何の役にも立たないからだ、などと家名を貶める発言をした。
そこで友信はこれを敢えて受けて大盃になみなみと注がれた数杯の酒を一気に呑み干すと、褒美として、正則が秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望する。
正則は「武士に二言は無い」という言葉を受けてしぶしぶ褒美に差し出した。
これによって「呑取り日本号」という異名と、越天楽(筑前今様)の節回しと供に「黒田節」として、黒田武士の男意気を示す逸話として広く知られるようになった。
これによって友信は博多人形の題材として多く取り上げられ、槍と盃を手にした姿で造型される。
また博多駅前や西公園などにはこの逸話を元にした銅像がある。
なお、この日本号は後の慶長の役で窮地に陥った友信を救った後藤又兵衛の手に渡り、又兵衛が出奔する際に黒田家に残されて家宝となったと伝えられ、現在、福岡市博物館に現物が、広島城にレプリカが展示されている。

[銅 像]
子孫ナヲが博多人形宗家の中ノ子六助に嫁いでおり、福岡県無形文化財技術保持者 中ノ子富貴子の母親である。福岡市西公園の母里友信像は中ノ子タミのエスキース(下絵)を元に中ノ子富貴子が銅像として完成させたものである。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
長い槍と杯を持った堂々とした像です。
博多人形のモデルでもよく目にします。
「酒は飲め飲め飲むならば日の本一のこの槍を・・・・」
博多駅前の銅像を探していますが、工事中で見つかりません。
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