ken's銅像探索日誌
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進藤 一馬
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進藤 一馬 像
(福岡県 福岡市中央区 福岡市美術館)

進藤 一馬(しんとう かずま)
(1904年-1992年)
昭和時代の政治家

撮影日:2007年12月5日
建設年:平成4年
分 類:政治家
評 価:☆☆☆

進藤 一馬
進藤 一馬
「福岡市ホームページ」から

明治37年1月1日生まれ。
父進藤喜平太が後援していた東方会にはいり,中野正剛に師事し,総務部長。
九州日報社取締役,東方時報社長をつとめ,昭和19年玄洋社社長となる。
33年衆議院議員(当選4回,自民党),47年福岡市長。
平成4年11月28日死去。88歳。
福岡県出身。早大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎1984年(昭和59年)早春、道路拡張工事のため、南区桧原の沿道の桜並木が切り払われることになった。それを惜しんだ住民が、和歌を詠んで桜の木に掲示した。
「花守り 進藤市長殿 花あわれ せめては あと二旬 ついの開花をゆるし給え」。
これが西日本新聞に報道されるや、多くの人たちが桜を惜しんで歌を木に下げた。
その中にこのようなものがあった。
「桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻」
香瑞麻は「かずま」、進藤市長の雅号であった。
このような多くの人々の思いが行政を動かし、工事が変更され、桧原の桜は残された。
福岡市民たちは進藤を「花守り市長」と呼んだ。
この話は「リーダーズダイジェスト」誌や小学校の道徳副読本にも掲載されている。
この桜は現存しており周囲は公園として整備されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
福岡市立美術館の入り口辺りに座っておられます。
やさしそうな感じの表情が印象的です。
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