ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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太田 道灌 1
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IMG_2872.jpg
太田 道灌 像 1
(東京都 千代田区 丸の内 東京国際フォーラム内)

撮影日:2007年6月5日
分 類:武将(室町時代)
評 価:☆☆☆

太田 道灌
太田 道灌
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

太田 道灌(おおた どうかん)
(1432年-1486年)
室町時代の武将
江戸城を築城した武将として有名

永享4年生まれ。
太田資清の子。
康正元年家督をつぎ,上杉定正の家宰となる。
3年江戸城を完成させ,居城とする。
文明8年におきた長尾景春の乱を12年に鎮定。
軍法師範と称され,また歌人としても知られ,万里集九らとまじわった。
文明18年7月26日定正に暗殺された。55歳。
相模(神奈川県)出身。幼名は鶴千代。名は資長。通称は源六郎。
【格言など】かかる時さこそ命の惜しからめかねてなき身と思ひしらずば(「常山紀談」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎山吹伝説
道灌が父を尋ねて越生の地に来た。
突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。
その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。
道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。
後でこの話を家臣にしたこところ、
それは後拾遺和歌集の
「七重八重 花は咲けども 山吹の実の(みの)一つだに なきぞ悲しき」
の兼明親王の歌に掛けて、
家が貧しく蓑(みの)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。
古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。

◎謀反鎮圧
あるとき、道灌の家臣が謀反を起こして館に立てこもった。
道灌は兵士を差し向け、突入時に後方から「あの者は殺すな」と叫んだ。
すると謀反した家臣はもしかして自分だけ助かるのではないかと思い、剣先が鈍くなり、全て討たれてしまった。

◎将軍の猿
将軍足利義政は一匹の猿を飼っていた。
この猿は御所に参内する大名たちに飛びかかって引っ掻き、大名たちは難渋していたが、将軍の猿のために苦情も言えなかった。
太田道灌が上洛して御所に参り、猿はいつものように飛びかかろうとするが、道灌がにらみつけると怯えて縮こまってしまった。
大名たちは道灌の威に驚いた。
道灌は上洛するとこの猿のことを知り、猿師に賂を渡して猿をしたたかに打ちすえておいたのである。
そのため、猿は道灌に睨みつけられると怯えてしまった。
大名たちはこれを知り道灌の知恵にさらに驚いた。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[銅  像]
この像は、ここに都庁舎があった昭和33年、当地に設置され、長らく都庁のシンボルの一つとして親しまれてきました。
都庁の移転後、ここが東京国際フォーラムとして新たに生まれ変わったことに伴い、平成8年5月、ゆかりの深いこの地に復帰することになり、以前と同様に、居城であった旧江戸城(皇居)を望んでいるそうです。

[感  想]
東京国際フォーラムの建物内に有ります。
弓矢を持った姿は、堂々としています。

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