ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ルイス・デ・アルメイダ
IMG_0674.jpg

IMG_0677.jpg
ルイス・デ・アルメイダ 像
(大分県 大分市 大手町 遊歩公園)

ルイス・デ・アルメイダ(Luis de Almeida)
(1525年 -1583年)
ポルトガルの宣教師,医師

撮影日:2008年3月22日
分 類:ポルトガル人医師
作 者:古賀忠雄
評 価:☆☆☆

貿易商として天文21年平戸にくる。
イエズス会に入会,ザビエルの後継者トルレスについて布教に従事。
豊後(大分県)の大友宗麟の保護のもと,育児院,病院などを建設,みずからも診療にあたった。
天正11年10月天草で死去。58歳。
リスボン出身。

「生涯」
アルメイダは、1525年ごろリスボンで、「新キリスト教徒」(レコンキスタ後、ユダヤ人あるいはムスリムからキリスト教に改宗した人々)の家庭に生まれた。
1546年ポルトガル王から与えられる医師免許を取得したあとで、世界雄飛を夢見てゴアからマカオに渡った。1552年貿易目的で初来日。
日本とマカオを行き来して多くの富を手にした。
山口でアルメイダはイエズス会宣教師コスメ・デ・トーレス神父に会う。
彼はフランシスコ・ザビエルの事業を継承して日本で布教を続けていた。
アルメイダは宣教師たちとの出会いを通して、思うところがあり、豊後府内(大分県大分市)にとどまり、私財を投じて乳児院を建てた。
これは当時の日本で広く行われていた赤子殺しや間引きの現実にショックを受けたからであるとされている。
さらに豊後府内の領主であった大友宗麟に願って土地をもらいうけ、
1557年に外科、内科、ハンセン氏病科を備えた総合病院を建てた。
これが日本初の病院であり、西洋医学が初めて導入された場所である。
また、大分において「ミゼリコルディア」(ラテン語で「憐れみ」の意)といわれたキリスト教徒の互助組織を発足させた。
日本人医師の協力を受けて病院を運営していたアルメイダは1558年には医学教育も開始。医師の養成を行った。やがてアルメイダは九州全域をまわって医療活動を行うようになり、1566年には五島の領主宇久純定の治療を依頼されるほどその名声は高まっていた。
1580年、アルメイダはマカオにわたって司祭に叙階された。
再び日本に戻って、宣教活動・医療活動に専念するが、
1583年10月に天草の河内浦(熊本県天草市)で没した。
享年59。
冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、病人と乳児に尽くした波乱の生涯であった。

[銅 像]
西洋医術発祥記念像
1557年に日本で初めての西洋式の病院が府内に開かれ、西洋式外科手術が行われたことを記念する像。
病院を開いたポルトガル人医師ルイス・デ・アルメイダが日本人助手とともに外科手術を始めようとする様子を表している。
彫刻家古賀忠雄による作品。

[感  想]
ポルトガル人医師ルイス・デ・アルメイダが、外科手術をしようとしている像です。
場面をとらえためずらしい像です。
大分市にアルメイダ病院という病院がありますが、この名称は彼にちなんでいるそうです。
スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://kendouzou.blog115.fc2.com/tb.php/121-b7f7662c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。