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【2008/10/11 10:30】
|
伊東 マンショ
伊東 マンショ 像
(大分県 大分市 大手町 遊歩公園)
伊東 マンショ(いとう まんしょ)
(1569年頃−1612年)
キリシタンで、天正遣欧少年使節の正使。
撮影日:2008年3月22日
分 類:天正遣欧少年使節の正使
作 者:北村 西望
評 価:☆☆☆☆
[生 涯]
伊東マンショは日向国主伊東義祐の孫として生まれた。
伊東氏が島津氏の攻撃を受け、伊東氏の支城の綾城が落城した際、当時8歳だった伊東マンショは家臣の田中國廣に背負われ豊後に落ち延びる。
豊後に暮らしていたときにキリスト教と出会い、その縁で司祭を志して有馬のセミナリヨに入った。
巡察師として日本を訪れたアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(ヴァリニャー二)はキリシタン大名であった大村純忠と知り合い、財政難に陥っていた日本の布教事業を立て直すため、また次代を担う邦人司祭育成のため、キリシタン大名の名代となる使節をローマに派遣しようと考えた。
そこでヴァリニャーノに白羽の矢をたてられたのが、セミナリヨで学んでいた四人の少年たちであった。伊東マンショは大友宗麟の名代として選ばれた。
事実、彼は「大友宗麟の姪(一条房基子女)の夫である伊東義益の妹の子」という遠縁の関係にあった。
本当は義益の息子で宗麟と血縁関係にある伊東祐勝が派遣される予定であったが、当時祐勝は安土にいて出発に間にあわないため、マンショが代役となったという。
その選考基準は容姿端麗であり、長旅に耐える健康を備え、語学や勉学においてすぐれていることであった。
また途中で立ち寄ったトスカーナ大公国で舞踏会に使節たちが招かれた時、マンショはトスカーナ大公妃・ビアンカと踊ったという記録もある。
1590年、日本に戻ってきた彼らは翌年、聚楽第で豊臣秀吉と謁見した。
秀吉は彼らを気に入り、伊東マンショには特に強く仕官を勧めたが、司祭になることを決めていた伊東マンショはそれを断った。
その後、司祭になる勉強を続けるべく天草にあった修練院に入り、コレジオに進んで勉学を続けた。
1593年7月25日、他の三人と共にイエズス会に入会。
1601年には神学の高等課程を学ぶため、マカオのコレジオに移った。
1608年、伊東マンショ、原マルティノ、中浦ジュリアンはそろって司祭に叙階された。
伊東マンショ神父は小倉を拠点に活動していたが、1611年に領主細川忠興によって追放され、中津へ移り、さらに追われて長崎へ移った。
長崎のコレジオで教えていたが、1612年11月13日に病死。
ヨーロッパ帰国から22年目であった。
伊東ドン・マンショ像
天正遣欧少年使節の正使で、豊後の大友宗麟の名代としてローマに派遣された伊東マンショの像。
長崎市の平和祈念像で知られる彫刻家北村西望による作品。
洋装し、馬にまたがる伊東マンショを表している。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
[感 想]
大分遊歩公園の中に馬にまたがっておられます。
かしこそうなやさしい顔が印象的です。
【2008/03/22 01:00】
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