ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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品川 弥二郎
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品川 弥二郎 像 
(東京都 九段南 九段下公園)

品川 弥二郎(しながわ やじろう)
(1843年-1900年(明治33年)
幕末-明治時代の武士,政治家

撮影日:2007年6月5日
建設年:明治40年
分 類:長州藩士、政治家
作 者:本山白雲
評 価:☆☆☆☆

品川弥二郎
「近代日本人の肖像ホームページ」から

天保14年閏9月29日生まれ。
長門(山口県)萩藩士。
尊攘運動で活躍。
維新後,ヨーロッパに留学。
農商務大輔などをへて,第1次松方内閣の内相となる。
明治25年の総選挙で選挙干渉をおこない引責辞任。
新政府軍の軍歌「宮さん宮さん」の作詞者,信用組合の育成者としても知られる。
子爵。明治33年2月26日死去。58歳。
名は日孜。字(あざな)は思父。変名は橋本八郎。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆品川弥二郎は、天保14年(1843)長州藩萩に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだのち、薩長同盟の成立やその後の戊辰戦争で活躍。
明治政府成立後は、政治家として内務大臣など要職を歴任し、政界引退後も学校や信用組合の設立などに関わりました。
また歌詞の一番に有栖川宮熾仁親王の姿を歌った「宮さん宮さん~」の歌い出しで知られる『トコトンヤレ節』を作詞したことでも知られています。
銅像の製作にあたった本山白雲は、四国桂浜にある坂本龍馬像や東京霞ヶ関の伊藤博文像など、幕末・明治の志士や政治家の像を手がけたことでも知られ、品川弥二郎像も代表作の一つです。
完成は明治40年ですが、関東大震災で台座ごと倒壊。
しかし、作者自ら私費を投じて再建しました。
銅像がある千鳥ヶ淵は、東京でも有数の桜の名所。
満開の桜に囲まれる頃が見頃、といいたいところですが、めちゃ混みになりますので咲き始めがお奨めです。
なお、大村益次郎の銅像製作を献策した山田顕義とは松下村塾の同門で、のちに協力して長州藩に御盾隊を組織するなど関係が深く、出身地である萩(山口県萩市)の萩往還公園には松下村塾時代の二人の姿を描いた銅像があります。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[エピソード]
◎戊辰戦争のとき、新政府軍が歌った「トコトンヤレ節」(「宮さん宮さん」)は、弥二郎が作詞者であると言われている。
◎松陰は品川を「温厚正直で人情に厚く、うわべを飾らない。抜きん出た能力はないが、心が広く奥深いのが優れている」と評している。
◎維新で亡くなった志士たちを顕彰するため、京都に尊攘堂を建立して京都帝国大学に寄贈した。品川の死後、山口県下関市の功山寺にも建立されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
靖国神社から皇居方面へ陸橋を渡ると、大きい像が見えてきます。
巨大な像で街を見下ろしておられます。
迫力ある像です。

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