ken's銅像探索日誌
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岡田 啓介
DSCN7827.jpg

DSCN7828.jpg
岡田 啓介 像
(福井県 福井市 大手 中央公園)

岡田 啓介(おかだ けいすけ)
(1868年‐1952年(昭和27年))
明治-昭和時代前期の軍人、政治家
第31代内閣総理大臣

撮影日:2008年9月1日
分 類:政治家
評 価:☆☆☆

岡田啓介
「近代日本人の肖像ホームページ」から

慶応4年1月21日生まれ。
海軍大将。
海軍次官、連合艦隊司令長官などをへて、昭和2年田中義一内閣、7年斎藤実内閣の海相をつとめる。
9年首相。
二・二六事件で襲撃され助かるが、内閣は総辞職。
日米開戦回避に努力し、開戦後は東条内閣打倒工作の中心となった。
昭和27年10月17日死去。84歳。
越前(福井県)出身。海軍大学校卒。
著作に「岡田啓介回顧録」。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「二・二六事件」
二・二六事件初日、反乱軍は岡田首相の殺害を狙って首相官邸を襲撃した。
岡田は官邸の女中部屋の押入に隠れ、難を免れた。
身代わりに義弟の松尾伝蔵が殺された。
岡田と松尾は血のつながりはなかったが、額から下の顔つきが似ていた。
また、反乱軍の襲撃に対し、松尾自身が「いかにも私が岡田です」と応えたという証言もある。
そのため反乱軍も、首相の殺害に成功したと誤認したとみられ、一時的に岡田首相死亡説が流れた。
事件中で、反乱兵士の警戒厳重な監視の下、弔問客の首相官邸入邸が許可された際、弔問客の出入りに紛れる形で岡田は脱出し難を逃れた。
二・二六事件で、前任の斉藤、片腕と頼む高橋是清蔵相、義弟の松尾を失い、岡田の受けたショックは大きかった。
当時の状況から見て岡田に責任が無い事は明白であったが、頼りとしていた蔵相と身内を一挙に失った事に対し、強い自責の念に駆られていた。
事件後、昭和天皇に拝謁したとき、岡田のあまりの傷心振りを見た天皇は、岡田が自決するのではないかと深く危惧したといわれている。
昭和11年(1936年)3月9日、岡田内閣は総辞職した。
岡田2
松尾伝蔵(右)と
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[エピソード]
◎岡田には軍人らしい英雄譚が皆無であり、「岡田啓介伝」にも伝記にふさわしいエピソードが無く、編者の苦労が感じられる。しかしながら、そのことは岡田が常識人であったことをうかがわせる。
◎生涯を清貧で通した人物であり、総理大臣就任の際、記者たちに振舞う酒が買えず、「これで君たちの好きな酒を冷やしてくれ」と氷だけを配ったエピソードがある。
また、岡田が就任時に着用したシルクハットも借り物であった。

[感 想]
福井市の中央公園に立っておられます。
羽織・袴姿で杖を手にした姿は、晩年のころの姿だと思われます。
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