ken's銅像探索日誌
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由利 公正 1
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由利 公正 像 1
(福井県 福井市 大手 中央公園)

由利 公正(ゆり こうせい)
(1829年‐1909年(明治42年))
福井藩士、政治家

撮影日:2008年9月1日
建設年:昭和59年
分 類:福井藩士
評 価:☆☆☆

由利公正
「近代日本人の肖像ホームページ」から

幕末-明治時代の武士、政治家。
文政12年11月11日生まれ。
越前福井藩士。
藩政・兵制改革につとめる。
明治新政府の参与となり、財政・金融政策をになった。
五箇条の誓文の起草に参画。
明治4年東京府知事、23年貴族院議員。明治42年4月28日死去。81歳。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎由利の母親は家政の切り回しが上手な賢婦人として知られ、由利は幼少の頃より母を助けて家屋の修繕や菜園の栽培し、父の乗馬の飼育などを手伝った一方で武道にも励んだとされる。
◎藩の殖産興業策を実施するため、横井小楠と共に西国各地へ出張している。下関では物産取引の実情を調査し、長崎では藩の蔵屋敷を建ててオランダ商館と生糸販売の特約を結ぶなど、積極的な経済政策を推進した。「民富めば国の富む理である」という「民富論」的な富国策は大きな成果を挙げた結果、藩財政は黒字に転じた。
◎由利と坂本龍馬は大変気が合ったようで、二度目の福井来訪時、足羽川近くの山町のたばこ屋旅館にて、早朝から深夜まで延々日本の将来を語り合ったという。当時、謹慎中の由利には立会人として藩士が付き添ったにもかかわらず、坂本は遠慮せずに「三岡、話すことが山ほどあるぜよ」と叫んだと伝えられる。
◎五箇条御誓文は由利の発案によるものであり、思想的な基本は坂本龍馬の船中八策に基づいている。由利が作成した「議事之体大意」が原文となっている。
東京府知事時代、東京の防火対策を推進した。当時は木造家屋が多かったため、防火を第一とする街の改造計画に着手し、銀座に煉瓦造りの建築物を数多く建てるなどの施策を実施した。
◎坂本龍馬による二度目の福井訪問から約一週間後、由利は福井城下にて足羽川沿いの土手を歩いていた。
そのとき突風が土手を歩く由利を襲い、懐中に忍ばせておいた坂本の手紙を落としてしまった。
そのとき、京都にて坂本が暗殺されたのだった。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
福井市中央公園におられます。
若い頃の姿で、腕を組んでちょっと上を見ている姿は、りりしい感じです。
龍馬との逸話はおもしろいものです。
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