ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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大村 益次郎
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大村 益次郎 像  
(東京都 千代田区 九段北 靖国神社)

大村 益次郎(おおむら ますじろう)
(1824年-1869年)
幕末の兵学者、陸軍指導者

撮影日:2007年6月5日
建設年:明治26年
分 類:兵学者
作 者:大熊 氏廣
評 価:☆☆☆☆

肖像画(エドアルド・キヨッソーネ画)
肖像画(エドアルド・キヨッソーネ画)
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

文政7年3月10日生まれ。
緒方洪庵にまなび,伊予(愛媛県)宇和島藩につかえる。
幕府の蕃書調所,講武所につとめ,万延元年から長門(山口県)萩藩で軍制改革に参画。
維新後,新政府の兵部大輔として近代兵制確立につとめたが,明治2年9月京都で神代直人らにおそわれ負傷,同年11月5日に死亡。46歳。
周防(山口県)出身。本姓は村田。
【格言など】安価で軽便な四斤砲をたくさんつくってくれ(最期の言葉)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆大村益次郎は、江戸時代の文政7年(1824)に長州藩の医師の長男として誕生。
オランダ医学を学ぶ傍ら西洋兵学を修め、のちに長州藩の兵制の近代化に辣腕を振るいました。
西洋式装備の常備軍「奇兵隊」の整備・育成を始めとする成果は、幕府軍を撃破した第二次長州征伐における戦いで遺憾なく発揮されます。
戊辰戦争渦中の上野戦争では、彰義隊の蜂起を一日で鎮圧するなどの活躍を見せました。
兵制化を指導するなど後の日本陸軍創設の中心人物でもありましたが、道半ばの明治2年(1869)に刺客に襲われ、その傷が元で亡くなりました。
治療には、上野恩賜公園に銅像があるボードワン博士(ボードウィン)も参加しました。
大村は戊辰戦争の戦死者を祀る東京招魂社建設に先立ち、自ら建設候補地であった九段の現地視察を行ったといわれ、その建設に尽力しました。
明治15年、大村の慰霊祭の席で靖国神社宮司から銅像建立の案が出され、当時内務卿であった山田顕義らが中心となり銅像建立が本格化したとのことです。
銅像の製作は、明治18年に大熊氏廣に依頼され、靖国神社の参道中央に建立。
明治26年に除幕式が行われました。
大熊氏廣は、依頼を受けた明治18年当時、すでに西洋彫刻家としてその名を知られていましたが、依頼の重要性に鑑みて西洋彫刻を極めるべく海外に留学。
その成果をもって日本最初の本格的な西洋式銅像として完成させました。
なお、大村益次郎像の顔は上野公園の方を向いており、西郷隆盛像と視線を合わせているともいわれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

大村益次郎銅像
「大村益次郎銅像」
旅の家つと 29(明治33.7刊行)
「写真の中の明治・大正-国立国会図書館所蔵写真帳ホームページ-」から
明治33年当時の写真です。

[エピソード]
◎口数が少なく、村ではあまり評判のよい医者ではなかったようである。
◎若き頃は、ヘボン塾(現:明治学院)にて英語を学ぶなど、いち早く海外異文化を理解しようと努めた勉強家でもあった。
◎大村は西洋兵術書を翻訳したばかりでなく、それを現状に即し実戦に役立つよう、また、わかりやすく書き改めた。
さらに、その教え方も無駄がなく的確であったという。
実戦においてもその才能は遺憾なく発揮され、優れた戦術眼により敵を撃破した。
萩藩の旧知で蘭学者の青木周弼は彼を評して「その才知、鬼の如し」と語ったという。
◎萩藩ではその風貌から「火吹き達磨」と言われた。この異名は家老・周布政之助が付けたとも高杉晋作が付けたとも言われている。
◎兵部大輔に任ぜられ軍制改革を大胆に行おうとしたため、藩兵を親兵化しようと目論む守旧派の反感を買った。
彼を襲った犯人はその守旧派であり、首謀者は旧薩摩藩士・海江田信義であるとも言われている。
◎維新戦争後に西からの反乱(西南戦争)を予言したことでも有名である。
◎まだ若かった西園寺公望は大村に師事しており、京都にいた西園寺が大村を訪問しようとしたとき、旧友に会ったために訪問できなくなったところ、そのとき大村は刺客に襲われ、西園寺は巻き込まれずに済んだという話がある。
◎日本初の軍歌・行進曲とされる、品川弥二郎作詞の「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)の作曲者とも言われている(もっとも、当時の日本人の音楽感性の面から、成立年代をもっと後年とする説もある)。
◎学究肌で趣味らしい趣味もなかったが、豆腐を食べることと骨董品を買うことを楽しみにしていた。特に掛け軸が好きあったが、1両以上のものは決して買うことがなかった。その理由について、部下で軍務官権判事の船越衛は「『おれも軸物などを楽しむが、その代わりに額を決めておく。その決めた額より上は出さぬ』ということだった」と証言している。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
靖国神社の真ん中に高い台に乗って建っています。
相手を威圧する何かがあります。
それにしても、眉毛太いですねえ~。
この大村益次郎像と上野の西郷隆盛像には、有る噂があります…
それは、大村益次郎像の顔は上野公園の方を向いており、西郷隆盛像と視線を合わせているともいうものです。

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