ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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高橋 是清
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高橋 是清 像
(東京都 港区 赤坂7丁目 高橋是清記念公園)

高橋 是清(たかはし これきよ)
(1854年‐1936年)
明治-昭和時代前期の政治家
第20代内閣総理大臣

撮影日:2009年9月27日
建設年:昭和30年
分 類:政治家
作 者:齋藤素巌
評 価:☆☆☆

高橋是清
「近代日本人の肖像ホームページ」から

嘉永7年閏7月27日生まれ。
明治44年日銀総裁。
大正10年暗殺された原敬のあと首相・政友会総裁となる。
13年衆議院議員。
昭和2年の金融恐慌では蔵相として支払猶予令を施行,6年金輸出再禁止を実施。
11年2月26日二・二六事件で暗殺された。
83歳。江戸出身。
著作に「経済論」「高橋是清自伝」など。
【格言など】景気がよくなれば,公債は漸減する
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆建立:1940年(初代)・1955年(2代目)
明治から昭和初期にかけて活躍した政治家です。
嘉永7年(1854)、徳川幕府の御用絵師の子として生まれ、間もなく仙台藩の高橋家へと養子に出されます。
成長して後、アメリカ人ヘボンの私塾(後の明治学院大学)で学んだことから渡米留学の志を持ち、勝小鹿(勝海舟の子)とともに旅立ちますが、騙されて奴隷生活を余儀なくされ、明治元年(1868)にようやく帰国しました。
しかし、留学で得た知己から文部省に入省。
それを皮切りに官僚として活躍し、やがて日銀総裁に就任。
日露戦争にあたっては戦費となる戦時外債の募集にも尽力します。
明治38年に貴族院議員に当選したのをきっかけに政治の道に進み、大蔵大臣として昭和金融、世界恐慌といった難局に手腕を示して乗り切りました。
柔和な表情と恰幅のいいその姿から「だるまさん」と呼ばれて庶民から愛されましたが、岡田内閣で6度目の蔵相を務めていた昭和11年(1936)、折からのインフレ回復のために行おうとした軍事予算縮小の方針が軍部若手将校の恨みを買います。
そして2・26事件で襲撃を受けた高橋是清は、銃撃された後、さらに斬りつけられて絶命。享年82歳でした。
銅像は、港区赤坂にある旧高橋是清邸の敷地に造営された高橋是清翁記念公園内にあります(旧邸の一部は小金井市の江戸東京たてもの園に移築)。
晩年の姿を描いた座像で、昭和15年に彫刻家齋藤素巌の製作で建立。
しかしこの初代は戦時中に金属供出で失われ、昭和30年に同じ作者の習作を元に再建されました。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[エピソード]
◎高橋はそのふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」、「達磨さん」と呼ばれて親しまれた。
◎旧高橋邸の跡は高橋是清翁記念公園(東京都港区赤坂七丁目)となり、建物の一部は江戸東京たてもの園(東京都小金井市)に移築されて一般公開されている。
◎酒好きで有名。国会本会議場の席でも堂々と茶碗酒をすすっていたが、誰も咎める者はなかった。
◎高橋是清は歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券に使用された人物。1951年から58年にかけて発行された五十円券がそれである。
Series_B_50_yen_Banknote.jpg
日本銀行券B50円券
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
公園の中に静かに佇んでおられます。
柔和な顔がいい像です。
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