ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

乃木 希典 4
DSCN9166.jpg

DSCN9175.jpg

DSCN9170.jpg

DSCN9171.jpg
乃木 希典 像 4
(東京都 港区 赤坂8丁目 旧乃木邸)

撮影日:2009年9月27日
建設年:昭和43年
分 類:軍人
作 者:鈴木達
評 価:☆☆☆

◆嘉永2年(1849)、長州支藩である長府藩藩士の子として現在の六本木にあった藩邸内で誕生。
長じて長府藩報国隊に入隊(後に長州藩奇兵隊へと編入)し、以後軍人としての人生を歩みつづけました。
西南戦争では歩兵連隊長心得として部隊を率いるものの、撤退の渦中で連隊旗を奪われるという失態を演じます。
これを恥じた乃木希典は、自ら死を求めるがごとき戦いぶりを見せ、自決さえしようとします。
これがかえって「武人の潔さ」として評価されますが、乃木自身は失態の清算を忘れることはなく、大正元年(1912)、崩御した明治天皇に殉死する形で自らを処することになります。
日清戦争では歩兵第十一旅団長として旅順要塞攻略戦に参加(1日で陥落)。
しかし第三軍司令官として臨んだ日露戦争では、大小の銃火器、砲台とコンクリートで強化され近代化された旅順要塞を攻め倦み、最終的には陥落させたもののあまりに大きい損失を出してしまいます。
指揮ぶりには賛否両論がありますが、攻防戦渦中に起こった「指揮官交代」の論に対し、明治天皇は絶対の信頼を示したといわれており、少なくとも当時最も信頼された陸軍指揮官の一人でした。
銅像は、赤坂の乃木邸(乃木神社内)にあります。これは陸軍少将時代の明治28年、金沢を訪れた乃木が、出会った辻占売りの少年が一家の生計を支えていることを知って当時大金だった二円を渡し、これに感激した少年が努力の末に金箔職人として大成したというエピソードを描いたもの。
彫刻家鈴木達の製作で、昭和43年に長府藩邸跡のニッカ池(六本木ヒルズの建築と周辺地域の整備に伴い、現在は毛利庭園内の池の下にある)に建立され、後に現在の場所に移築されました。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
東京都赤坂の旧乃木邸におられます。
乃木将軍の少年を励ます姿が、よく表現されています。
スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://kendouzou.blog115.fc2.com/tb.php/199-62379e3d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。