ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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吉川 広嘉
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吉川 広嘉 像
(山口県 岩国市 吉香公園)

吉川 広嘉(きっかわ ひろよし)
(1621年-1679年)
江戸時代前期の武士
岩国藩第三代藩主

撮影日:2007年6月12日
分 類:武将
評 価:☆☆

元和7年7月6日生まれ。
吉川広家の孫。
周防(山口県)岩国城主。
岩国川河口の干拓,銅山開発,製紙業興隆につくし,大坂中之島に蔵屋敷をもうけ販路を拡大するなど経済振興につとめる。
延宝元年に錦帯橋をつくった。
延宝7年8月16日死去。59歳。
初名は広佳,広純。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「錦帯橋」
岩国藩祖の吉川広家から数えて三代目が広家の孫・広嘉である。
広嘉は、元来病弱で、京都での病気療養中、京文化になじみ、また、学ぶところともなったようである。
読書に親しみ、武芸を好み、学問心と技術ごごろを重んじる政策は、岩国の文化の開祖と仰がれている。
また、毎年のように氾濫する錦川に流されない橋をかけようと、約10年の歳月をかけて実験と研究を繰り返し、4つの頑丈な石の橋脚と5つのそり橋からなる錦帯橋を完成させました。
この橋は昭和25年(1950)にキジヤ台風で流されるまで、276年間も不落をほこりました。
ホームページ「ひとのくに山口」「ようこそ岩国へ」から

[感  想]
あの有名な錦帯橋を造ったお殿様です。
銅像は、こぢんまりした感じです。

余談ですが、錦帯橋のすぐそばに「槍倒し松(やりこかしのまつ)」という立派な松があります。
これは、岩国藩士の心意気と言われるもので、
昔の山陽道は、徳山から玖珂-岩国御庄-多田-関戸-小瀬-大竹市中津原へ抜けるコースで、この上流にある岩国市御庄近くでは、渡し舟が利用されていたのである。
ところが、大雨が続くと川が氾濫し、渡し舟が止まり、参勤交代などで江戸を往復する西国の諸大名は、吉川藩に願い出て、吉川家の所有である錦帯橋を渡してもらっていた。
大名行列が藩の要所を通る時は、行列の槍を倒すのが礼儀となっていたが、わずか6万石の岩国藩を馬鹿にして、誰も倒す者はいなかった。
悔しがった知恵者が、近くの山から枝ぶりのよい松の木を持ってきて錦帯橋の袂に植えたところ、行列の槍は嫌でも倒さなければならなくなり、岩国藩士は手をたたいて大喜びしたという。
しかし、本当に意識して植えたという記録はない。
というものです。
IMG_2126.jpg
いつ見ても、「五橋」は美しいです。


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