ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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西郷 四郎
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西郷 四郎 像
(広島県 尾道市 東久保町)

西郷 四郎(さいごう しろう)
(1866年-1922年(大正11年))
明治時代の柔道家

撮影日:2010年5月28日
建設年:平成2年  
分 類:柔道家
作 者:今城 國忠
評 価:☆☆☆

西郷 四郎
若かりし頃の、「西郷四郎」氏の肖像

会津藩(会津若松市)藩士志田貞次郎の子。
明治15年旧会津藩家老西郷頼母の養子となる。
15歳で単身上京,陸軍予備校成城校に学ぶかたわら,天神真揚流柔術を修めた。
小柄なため陸軍士官学校への進学を断念,嘉納治五郎に見いだされて講道館に入門した。
必殺の立ち技「山嵐」で不世出の天才児といわれ,富田常次郎,横山作次郎,山下義韶と並んで講道館四天王のひとりに数えられる。
23年講道館を去り,35年鈴木力主宰の「東洋日之出新聞」記者となり,この間に中国大陸にも渡っている。
晩年は尾道市で過ごした。
富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルとされる。
「朝日日本歴史人物事典」から

西郷の得意技は「山嵐」だが、これは幼少の頃から漁船上で仕事をしていた関係で影響で身についた「タコ足(足指が吸盤のような強い力を持っていたことから、この名で呼ばれる)」を生かしたため、相手の足を刈る際の技の切れは他者よりも格段に鋭かったと言われる。
このことから、山嵐は大東流の技法が活用されていたとする説も一部にあるが、現在、講道館に伝えられている山嵐の技法を見る限りでは、大東流の影響は余り感じられない。なお、その技は嘉納治五郎に「ソノ得意ノ技ニ於テハ幾万ノ門下イマダ右ニ出デタルモノナシ」と言わしめた。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
西郷四郎のことは、今野敏著の「山嵐」を読んだのでよく知っていました。
銅像は、道路の脇のちょっと分かりにくいところにありますが、逝去の地ということです。
柔道着で、すくっと立っている姿が印象的です。
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