ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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松平 直政
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松平 直政 像
(島根県 松江市 殿町 松江県庁前)

松平 直政(まつだいら なおまさ)
(1601年-1666年)
江戸時代前期の武将、大名

撮影日:2010年8月10日
建設年:平成21年  
分 類:武将
作 者:米原 雲海
(倉澤 實:復元銅像制作)
評 価:☆☆☆☆

慶長6年8月5日生まれ。
結城秀康の3男。
徳川家康の孫。
大坂冬の陣に14歳で初陣。
元和2年兄松平忠直から越前木本に1万石をあたえられる。
上総姉崎,越前大野,信濃松本をへて,寛永15年出雲松江藩主松平家初代となる。
18万6000石。
国務の要領6ヵ条で藩政の基本をしめした。
寛文6年2月3日死去。66歳。

碑文内容
松平直政公像
松江藩主は、堀尾三代、京極一代、松平十代である。
松平家初代の直政公は、富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めた。
慶長十九年(1614)大坂冬の陣に際し、母 月照院は、十四歳で初陣する直政に対し「君は徳川家康の孫で、父 結城秀康は名将である。父に劣らぬ奮戦をせよ」と励まし、馬印(隊旗)を縫って与える。
越前隊と加賀隊が先を争って真田丸に進むが、弓銃が激しく撤退する。
その時、一将が進み出る。
見れば直政である。
従士の天方通総は馬を止め矢表に立ち「大将が先がけるとは何事ぞ」と諌めるが、直政は更に進む。
通総は再び矢表に立ち塞がる。
何度も矢表を争う主従を見た城将 真田幸村は、直政の勇気と従士の忠義を賞し、弓銃を撃たせず、主従の武士道の誠を讃え、櫓より軍扇を投げ与える。
この美談徳目は、時代を越えて輝き、郷土の先人は感嘆し銅像建立へと進んだ。
明治から大正にかけて小銅像が制作され、昭和二年に米原雲海作の直政公初陣像が松江城本丸に建立される。
昭和十八年戦時により供出される。
その後、再建の気運が高まり昭和五十二年、松平直政公像再建委員会が設置され、平成二十年、同建設委員会が設置される。
銅像制作は、二科会理事の倉澤實氏による。
平成二十一年十一月吉日 松江開府四百年祭・市制施行百二十周年事業
松平直政公銅像建設委員会・松江市

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金属供出される前の初代銅像の絵はがきがありました。
「城山天主閣前松平直政公銅像」
松平家は直政に始まり、明治4年廃藩置県にいたるまで、10代に渡り234年間藩主を務めました。
昭和2年松江松平家初代藩主直政公の銅像が天守閣の袂に建立された。
大阪冬の陣で真田幸村の陣に馬を躍らせる弱冠14歳の直政初陣の様子といわれる。
安来市出身の米原雲海・弟子の石本暁海の作。
大正6年当時の絵葉書にはすでに「直政公銅像建設地」の看板が写っているのでかなり前より計画していたようである。
これは、直政公銅像建立記念の絵葉書である。
惜しくも、昭和18年戦時中の金属供出により撤去された。
60数年を経て、平成21年県庁前に市民の熱意により当時の銅像が復元された。
「松江絵葉書ミュージアム」から

[感  想]
大阪冬の陣で真田幸村と戦った14歳の初陣の様子を表した像。
馬上で弓矢を持ち、天を見上げる姿は、堂々としています。
60数年を経ての復元は、うれしいです!
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