ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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小泉 八雲 1
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小泉 八雲 像 1
(島根県 松江市 奥谷町 小泉八雲記念館前)

撮影日:2010年8月10日
建設年:平成2年  
分 類:文化人
評 価:☆☆☆

小泉八雲
小泉八雲(1889年頃)
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

小泉 八雲(こいずみ やくも)
(1850年-1904年)
随筆家,英文学者

1850年6月27日ギリシャ生まれ。
明治23年(1890)来日,松江中学の英語教師となる。
小泉節子と結婚,29年イギリス国籍から日本国籍になる。
当時の日本を「知られざる日本の面影」などで世界に紹介。
五高,東京帝大や東京専門学校(現早大)でおしえ,上田敏(びん),厨川(くりやがわ)白村らをそだてた。
明治37年9月26日死去。55歳。
旧名はラフカディオ=ハーン(Lafcadio Hearn)。著作に「怪談」「詩論」など。
【格言など】太陽も月も……空間も時間も――すべては現われては消え行くまぼろしである。ただ,そのまぼろしを作り出すもののみが永遠に存在する(「露のひとしずく」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、白濁した左目を嫌悪し、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写らないポーズをとっている。

◎もともと強度の近視であったが、さらに晩年は右目の視力も衰え、高さが98センチもある机を使用して紙を目に近づけランプの光を明るくして執筆を行った。

◎アメリカで新聞記者をしていたとき、「オールド・セミコロン(古風な句読点)」というニックネームをつけられたことがある。
句読点一つであっても一切手を加えさせないというほど自分の文章にこだわりを持っていたことを指している。

◎東京帝国大学では学生の信望が厚く、解任のときは激しい留任運動が起きた。
川田順は「ヘルン先生のいない文科で学ぶことはない」といって法科に転科した。
後年この話の真偽を尋ねられた川田はそれが事実であると答え、後任の夏目漱石についても「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と言った。

◎非常に筆まめであり、避暑で自宅を離れている間、あとに残った妻に毎日書き送った手紙が数多く残されている。
ハーンは日本語がわからず妻は英語がわからないため、それらは夫妻の間だけで通じる特殊な仮名言葉で書かれている。
妻セツは日本語が読めない夫のリクエストに応じて日本の民話・伝説を語り聞かせるため、普段からそれらの資料収集につとめた。彼女以外の家族・使用人・近隣住民、また旅先で出会った人々の話を題材にした作品も多い。

◎八雲生誕の、ギリシャのレフカダ島の詩人公園には、日本の松江と新宿から贈られた八雲の像がある。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感  想]
小泉八雲記念館玄関前の川沿いにおられます。
髭と大きな目が特徴的で、河面を見つめているようです。
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