ken's銅像探索日誌
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夏目 漱石 1
NATUMESOUSEKI.jpg
夏目 漱石 像 1
(熊本県 熊本市 上熊本駅前)

撮影日:2006年10月20日
分 類:文学者
評 価:☆☆☆

夏目漱石1

夏目漱石2
「近代日本人の肖像ホームページ」から

夏目 漱石(なつめ そうせき)
(1867年-1916年)
明治-大正時代の小説家,英文学者

慶応3年1月5日生まれ。
松山中学,第五高等学校で英語教師をつとめ,明治33年文部省留学生としてイギリスに留学。
36年母校東京帝大の講師となり「文学論」「十八世紀英文学論」を講じる。
38年「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」が好評を得,40年東京朝日新聞社に専属作家としてむかえられ,近代日本の知識人の自我をめぐる葛藤(かっとう)をえがいた作品をあらわす。
正岡子規とまじわり,俳句や漢詩にしたしむ。
門下には寺田寅彦,森田草平ら多数。
大正5年12月9日死去。50歳。江戸出身。
本名は金之助。
作品に「坊つちやん」「草枕」「虞美人草(ぐびじんそう)」「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」「明暗」など。
【格言など】則天去私(晩年のことば)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎「漱石」の名前の由来
漱石の名は、『世説新語』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いことの例えである。尚、「漱石」は当初、親友の正岡子規の数多いペンネームのうちの一つであったが、夏目は正岡からこれを譲り受けている。

◎漱石と病気
漱石は、歳を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、命取りとなった胃潰瘍まで、多数の病気を抱えていた。『硝子戸の中』のように直接自身の病気に言及した作品以外にも、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生が胃弱だったり、『明暗』が痔の診察の場面で始まっていたりするなど、小説にも自身の病気を下敷きにした描写がみられる。「秋風やひびの入りたる胃の袋」など、病気を題材にした句も多数ある。

◎精神医学上の研究対象
漱石は、生前に神経衰弱やうつ病を患っているが、このことが当時のエリート層の一員であり、最上級のインテリでもあった漱石の生涯および作品に対して如何に影響を及ぼしているのかが、精神医学者の格好の研究対象となっており、実際にこれを主題としたいくつかの学術論文が発表されている。

◎神格化
「晩年の漱石は修善寺の大患を経て心境的な変化に至った」とは、後の多くの批評家、研究家によって語られた論評である。また、この心境を表す漱石自身の言葉として「則天去私」という語句が広く知られ、広辞苑にも紹介されている。 しかしながら、この「則天去私」という語は漱石自身が文章に残した訳ではなく、漱石の発言を弟子達が書き残したものであり、その意味は必ずしも明確ではない(人が生きるうえでの指針のように捉える説と、創作上の態度と捉える説などがある)。故人を神格化し、権威を与えるように使われてきた語だとする説もある。

◎言葉遊び
夏目漱石の作品には、順序の入れ替え、当て字等言葉遊びの多用が見られる。例「単簡」(簡単)、「笑談」(冗談)、「八釜しい」(やかましい)、「非道い」(ひどい)、「浪漫」(ロマン)、「沢山」(たくさん)、「流石」(さすが)等。「兎に角」(とにかく)のように一般的な用法として定着したものもある。

◎ある学生の死
第一高等学校の講師だった頃、ある日の授業で学生の藤村操が遅刻したので、漱石は彼を叱責した。
数日後、藤村は華厳の滝に身を投げて自殺した。
彼が日本初のノイローゼによる自殺者とされている。(ただし諸説あり)
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

◎移築の駅舎に漱石しのぶ
1896年4月、旧制第五高等学校(現熊本大学)の英語講師として熊本市にやってきた夏目漱石は、上熊本駅(旧名池田停車場)に降り立った。漱石の熊本生活は4年3カ月。この間、結婚して、長女が誕生している。
当時の面影が今も残っていると聞き、上熊本駅に向かった。といっても、JR上熊本駅の駅舎ではなく、すぐ隣にある熊本市電の電停「上熊本駅前」のそれ。近くには漱石の銅像も立っている。
1913年の建築。漱石が降りた時から17年後に建てられたが、屋根に朱色の飾りが施され、当時の趣は伝わってくる。ただ、駅舎は完全な建物ではなく、電停ホームの上屋でしかない。壁と屋根にだけ、当時の駅舎の部材が用いられている。
漱石が「森の都」と呼んで愛した熊本の街並み。九州新幹線の開業を控え、新たな姿に変わりつつあるが、古き良き光景もしっかりと残されている。
(熊本総局・新志有裕)
20061220kyud0.jpg
西日本新聞ホームページから抜粋


[感  想]
実はこの夏目漱石銅は、銅像コレクションの記念すべき第1号です。
熊本市へ出張に来ていて、仕事が終わって夕方走っていると、上熊本駅前に夏目漱石がいるではありませんか。
記念に写真を撮っておこうと思って撮ったのが、はじまりでした。
銅像は、等身大の大きさで、熊本にいた頃の夏目漱石らしく若い感じです。
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