ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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シーボルト
IMG_4156.jpg

IMG_4159.jpg
シーボルト 像
(東京都 中央区 明石町 あかつき公園)

撮影日:2010年12月12日
建設年:昭和63年
分 類:外国人
評 価:☆☆☆

シーボルト肖像
シーボルト肖像画 (附属図書館所蔵)
「県立長崎シーボルト大学ホームページ」から

シーボルト(Siebold, Philipp Franz von)
(1796年-1866年)
ドイツの医師,博物学者

1796年2月17日生まれ。
楠本いねの父。
文政6年(1823)長崎出島のオランダ商館医として来日。
鳴滝塾などで医学,博物学をおしえ,日本の洋学発展につくす。
11年国禁の地図の海外持ち出しが発覚し,国外追放となる(シーボルト事件)。
帰国後「日本」「日本植物誌」などをあらわす。
安政6年再来日。
長男,次男ものち日本で外交官として活躍。
1866年10月18日死去。70歳。ビュルツブルク出身。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆江戸時代末期に来日し、医学などヨーロッパの知識を伝えたドイツの医師・博物学者です。
現在のドイツ南部ヴュルツブルグで医学の名門の家庭に生まれ、医学を学んだのち、文政6年(1823)に長崎の出島にあったオランダ商館付きの医師として来日します。
翌年には鳴滝塾という私塾を開設して日本人に西洋医学を教えますが、1828年に帰国する際、国禁とされた日本地図(大日本沿海輿地全図の縮図)を持ち出そうとしたことが発覚。
追放処分になりますが、日本が1854年に開国した後にこの処分は解かれて再来日しています。
最初の日本滞在中に生物・民族・地理・気候に関する情報を集め、帰国後に『日本』を執筆。
これは日本研究の書として欧米の知識人や軍人たちが愛読し、1853年に浦賀に来航したペリー提督も『日本』を携えており、シーボルトのアドバイスを受けていたといわれます。
銅像は、築地のあかつき公園内にあります。
シーボルトの銅像は、やはり長崎に数多く存在しますが、実は出島だけでなくオランダ人の随員として江戸・日本橋の長崎屋に滞留しており、その間に日本人蘭学者に講義を行っています(江戸蘭学所縁の地という)。
また、彼が日本でもうけた娘いねが近隣の築地で産院を開業したことなど、縁の深い地であることから都内にもシーボルト銅像が置かれているのです。
台座付きの胸像で、昭和63年(1988)に、日蘭友好を目的としてオランダのライデン大学とイサーク・アルフレッド・エリオン財団より寄贈されたものです。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

シーボルト切手
シーボルト生誕200年を記念したドイツの切手
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感  想]
築地のあかつき公園で公園を眺めておられます。
髭と濃いい眉毛が特徴的で、ちょっと横を向いている像です。
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