ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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ペリー
IMG_4164.jpg

IMG_4166.jpg
ペリー 像
(東京都 港区 芝公園)

撮影日:2010年12月12日
建設年:昭和28年
分 類:外国人
作 者:フェリックス・ウエルドン
評 価:☆☆☆

ペリー
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)
(1794年-1858年)
アメリカの軍人

1794年4月10日生まれ。
海軍大佐。
東インド艦隊司令長官となり,嘉永6年(1853)浦賀沖に来航。
日本に開国をもとめるフィルモア大統領の国書を幕府にわたし,翌年再来日して日米和親条約を締結した。
帰途,琉球王国とも修好条約を調印。
1858年3月4日死去。63歳。ロードアイランド州出身。
著作に『ペリー提督日本遠征日記』。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆ペルリはオランダ語読みで、英語ではペリー。
黒船を率いて日本を訪れ、その後の日本の国策を一気に〝開国〟へと傾けたアメリカ海軍軍人マシュー・カルブレイス・ペリーその人です。
ペリーの父はプライバティア(私掠船)の船長出身、兄(次兄)は米英戦争の英雄で、自身も1809年に海軍に入り、海軍工廠の所長としてアメリカ海軍初の蒸気軍艦『フルトン』の建造を手がけるなど、蒸気船の建造と人材育成に尽力して『蒸気船海軍の父』、『アメリカ海軍近代化の父』と呼ばれました。後に東インド艦隊の司令官となり、日本を訪れることになります。
いわゆる黒船来航の際、ペリーが率いていた4隻のうち2隻は測量用の艦船でした。
ペリーの来日目的は日本に開国を求めること(寄港地確保のため)にあり、同時に港湾の測量を計画していました。
ペリーはアメリカの国威をもって迫れば日本は要求に従うだろうと考えていたようですが、結局は幕府が示した開国の返答延期を受け入れます。
理由は諸説ありますが、港湾測量をするうちに、手元にあった日本地図が科学測量を駆使する自分たちの測量と寸分たがわぬ正確さを持っていることを知ったためといわれます。
この地図は、かつてシーボルトが国禁を破って持ち出した『大日本沿海輿地全図』を元にしたもので、このことによって、日本が予想以上の文明国であるとの認識を持ち慎重姿勢になった理由といわれます。
銅像は、日比谷通り沿いの芝公園内(増上寺正門前あたり)にあります。
1952年に催された日本開国百年記念祭に際し、ペリーの生誕地であるロードアイランド州ニューポート市から親善のために贈られたもので、イギリス海軍の影響が色濃かった18~19世紀前半頃の高襟の軍服姿を描いた胸像です。
ペリーの顔は、軍服姿の肖像画の、貫禄を感じさせる風貌が知られていますが、像のほうは若々しく精悍さ溢れる表情になっています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
幕末の日本を震撼させた黒船に乗ってきたアメリカ人ペリーの像です。
歴史の教科書などでよく目にする下の写真とはだいぶ印象が違います。
首から上だけで顔が異常に大きいのは、アメリカ製だからかもしれませんが、日本の銅像とはちょと違う感じがします。
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