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徳川 家康
徳川 家康 像
(東京都 墨田区 両国)
徳川 家康(とくがわ いえやす)
(1543年−1616年 )
戦国大名・江戸幕府の初代征夷大将軍
撮影日:2007年6月22日
分 類:大 名
作 者:山下 恒雄
評 価:☆☆☆
戦国時代に三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦い以後、織田信長の盟友として版図を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げ、海道一の弓取りと呼ばれた。
豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開いた.
[年 譜]
1542年 生誕
1560年 桶狭間の戦い
1562年 清洲城を訪問。織田信長と同盟結ぶ
1572年 三方ヶ原の戦い
1575年 長篠の戦い
1582年 本能寺の変
1584年 小牧・長久手の戦い
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 征夷大将軍宣下・源氏長者宣下
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣
1616年 薨去
[エピソード]
○新しいもの好きの家康
実は、南蛮胴、南蛮時計など新しい物好きだった家康。
裏がつるつるで滑りやすかった南蛮渡来のくつの裏に日本のわらじからヒントを得て滑り止めの溝を彫らせ滑りにくくしたという挿話もある。
○武術の達人であった家康
剣術、砲術、弓術、馬術、水術等の武術について一流の域に達していた。
剣術は、新当流の有馬満盛、上泉信綱の新陰流の流れをくむ奥山神影流剣術の奥平久賀に師事、文禄2年(1593年)に小野忠明を200石(一刀流剣術の伊東一刀斎の推薦)で、文禄3年(1594年)に新陰流の柳生宗矩(柳生宗厳と立ち会って無刀取りされたため宗厳に剣術指南役として出仕を命ずるも、宗厳は老齢を理由に辞退)を召抱える、など、生涯かけて学んでいた。
ただし、家康は「大将は戦場で直接闘うものではない」と息子にいっていたといわれる。
水術についても、69歳の時、駿河の川で見事な泳ぎぶりを家臣に披露している。
馬術も、室町時代初期の大坪慶秀を祖とする大坪流馬術を学んでいる。
また、力も強く、70歳の時に総長4尺7寸(1.4m)の火縄銃で鳶を撃ち落としている。
○多趣味な家康
歴史小説等で鷹狩りと薬づくり以外無趣味とされることが多い家康であるが、実はそれ以外にもたくさん趣味があった。
猿楽(現在の名称は能)は、若い頃から世阿弥の家系に連なる観世十郎太夫に学び、自ら演じるだけでなく、「風姿花伝」で学び故実にも通じていた。
なお、家康は武士的な気概や人情味のある猿楽が好きであったが家臣が茶の湯(現茶道)等に凝るのを好まなかった。
また、香(特に伽羅)を好み、海外まで使いを出している。
囲碁も本因坊算砂に師事、特に浅野長政とはよい碁敵だった。
○家康の身長
家康の身長は推定156〜160cmと言われている。また肥満傾向にあり、胴回りは120cmと推測されている。
○一富士二鷹三茄子
初夢で見ると縁起がいいものとされる、富士山・鷹・茄子は家康の好きなものである。
晩年、駿府に隠居城を構えたのは富士山の眺めがいいから。
鷹は趣味が鷹狩りである事。
茄子は家康の無類の大好物で、天下を獲った男の愛する品と言うのが、一富士二鷹三茄子の由来である。
○家臣と家康
多くの有能な家臣に恵まれた家康は率直な物言いをする者を好んで重用した。
時につかみ合いの喧嘩をし、罵りあった事もあると言う。
○家康が尊敬していた人物
家康は、高祖、張良、韓信、太公望、文王、周公、源頼朝、足利尊氏などの人物を尊敬していたと伝えられている。
○家康が好んだ書物
家康の愛読書は、論語、中庸、史記、漢書、六韜、三略、貞観政要延喜式、吾妻鑑などの書物だと伝えられている。
○秀吉からの問い
「徳川の宝はなにか?」の問いに対し、「500騎の三河武士である」と返している。
[評 価]
江戸時代に家康は「神君家康公」と呼ばれ、彼を評価対象とした評論を公式に発表すれば処罰の対象となったため、必然的に明治時代以降の評価となっている。
○奸君説
司馬遼太郎は家康について記した小説「覇王の家」あとがきで、家康が築いた江戸時代については「功罪半ばする」としているが、「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」「大航海時代の潮流から日本をとざし(略)世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった」と功罪比べてみれば罪の方が大きいと批判的である。
そしてその功罪の原因は「徳川家という極端に自家保存の神経に過敏な性格から出て」いて、「かれ自身(家康)の個人的性格から出ているところが濃い」と家康に原因があるとしている。
このように司馬は家康について極めて批判的であり、また極端に嫌悪していたようで、そのため司馬の作品中、例えば『関ヶ原』や『城塞』などの中で、家康は「謀略に長けた狡猾な、そして何の面白みもない現実主義者」として描かれる事が多い。
なお司馬遼太郎の小説内での家康は、彼を陥れるかのごとく意図的に事実を曲解していることも多く、注意が必要であるが、司馬の家康観は司馬作品の人気の影響もあってか、今なお支持する人間は多い。
○名君説
山岡荘八の小説、「徳川家康」では、幼い頃から我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、平和を求める理想主義者として描かれている。
この小説によって家康の再評価が始まり、それは現在も続いている。
そのため、家康を苦労人・不屈の精神力の持ち主として高く評する者もある。
○凡君説
天下を平定したとはいえ、信長・秀吉に比べて守旧的な組織しか作りえなかったことから、家康を名君・奸君とするのは過大評価であるとする説もある。
家康は、独断で物事を決するよりは、専ら評定を開いては家臣だけで議論をさせ、家臣たちが結論を出したところで決断をするところから、家臣の使い方が多少優れ、たまたま長生きしたために天下を取ることができた凡人に過ぎないとする意見もある。
武光誠の『凡将家康天下取りの謎』がこの説を採っており、池宮彰一郎の小説『遁げろ家康』もこの観点より書かれている。
家康は常に冷静沈着な知将だったとされているが、これは逆に家康が小心な人物だったのではないかとされている。
事実、短気で神経質な一面も持ち、家康は関ヶ原の序盤戦で東軍が不利だったとき、門奈長三郎という小姓の指物の竿を一刀のもとに切り捨てたという。
さらに家康は苛立ったり、自分が不利になったりすると、親指の爪を常に噛み、時には皮膚を破って血を流すこともあったという。
古記録にも、「公(徳川家康)、おおいに気をいらだちたまい、左の御指の爪を食い切る。血しぶき噛みたもうように見えさせたもう」とある。
「江戸東京博物館ホームページから」
当館に徳川家康像が寄贈されたのは平成6年4月25日。
現在都内にある家康像は、この一体だけと言うことになります。
製作者は山下恒雄氏、像の高さは3.7メートル(台座からの高さ7.76メートル)、重量30トン。
台座の亀は水の都としての江戸を表現しているとも言われています(亀に見えるが「贔屓」ではないかとの説も。『世界大博物図鑑3』(4803/2/3 平凡社)よると「贔屓」は石碑の下にかたどられ「不動」の象徴とされることが多い幻獣)
[感 想]
実は、この家康像の写真を撮るのには苦労しました。
両国の江戸東京博物館に有るという情報があったので、前日の朝ランニングで博物館に行って、広場を探したのですが、見つかりませんでした。
博物館の中にあるのだと思い、次の日電車で行ってみましたが、博物館の中にも無く、係員に訪ねて、やっと博物館横の学校の前にあるのを発見しました。
でもその日は、土砂降りの雨で、写真はあまりきれいに撮れませんでした。
亀みたいな物に乗っている鷹狩りの姿の家康像は、大きく迫力があります。
ちなみに
江戸東京博物館の中には、「家康座像」がありました。
「家康座像」慶長6年(1601)/造
複製 芝東照宮原蔵
還暦を迎える家康の長寿を願ってつくられた寿像。生前の家康の風貌を伝える資料として貴重。
【2007/06/22 22:00】
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