ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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有栖川宮熾仁親王
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有栖川宮熾仁親王
(東京都 港区 南麻布 有栖川宮記念公園)

撮影日:2010年12月18日
建設年:明治36年
分 類:皇族
作 者:大熊 氏廣
評 価:☆☆☆☆

陸軍大将大礼服着用の熾仁親王
陸軍大将大礼服着用の熾仁親王
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

有栖川宮熾仁親王 (ありすがわのみやたるひとしんのう)
(1835年-1895年)
明治時代の皇族、政治家、軍人

有栖川宮幟仁親王の第1王子。
天保6年2月19日生まれ。
国事御用掛となるが,尊攘運動を支持し,禁門の変ののち失脚。
王政復古後新政府の総裁となり,戊辰戦争に東征大総督,西南戦争に征討総督として出征した。
明治10年陸軍大将,22年参謀総長。
明治28年1月15日死去。61歳。幼称は歓宮(よしのみや)。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆有栖川宮熾仁親王は、明治新政府発足に際して政治・軍事の面で大きな役割を果たした皇族です。
「皇女和宮」として知られる親子内親王の最初の婚約者であり、後に徳川慶喜の妹にあたる徳川斉昭の娘貞子と結婚しています。
天保6年(1835)に京都御所内北東の有栖川宮邸で誕生。
若くして倒幕運動に理解を示し、長州藩士を始めとする反幕勢力の結集に協力しました。
明治天皇の厚い信任を得て、暫定政治指導体制として設けられた三職のトップである総裁を務め、戊辰戦争では江戸を目指す新政府軍を率いる東征大都督の要職にも就きました(品川弥二郎作詞のトコトンヤレ節に唄われている「宮さん」は熾仁親王である)。
しかし西南戦争では、鹿児島県逆徒征討総督として九州に渡り、かつて東征の路を共に歩んだ西郷隆盛と対峙する立場になっています。
政治家としての実績も多く、西南戦争の渦中で行われた博愛社(後の日本赤十字社)設立の建策に独自の判断で許可を与え、また福岡を中心として経済を混乱に陥れた贋札事件の沈静化に尽力。元老院議長も務めました。
日清戦争勃発に際し、広島に置かれた大本営に日本軍総司令官として着任しましたが、腸チフスを発症し、明治28年(1895)1月15日、逝去しました。享年61歳。
銅像は、大山巌ら陸海軍の重鎮から建立の建策が出され、陸海軍軍人と一般からの献金を集めて明治36年(1903)、千代田区三宅坂の陸軍参謀本部前で除幕。
製作は彫刻家大熊氏廣で、日本の最高勲章である大勲位菊花頚飾(だいくんいきっかけいしょく)を佩用した礼装姿の堂々たる乗馬像です。
除幕式典には縁深き徳川慶喜も招かれました。
後に道路拡張に伴う区画整理で移築され、現在は港区広尾の有栖川記念公園内にあります。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
有栖川記念公園の広場におられます。
馬に跨った姿は、堂々としていて、帽子の羽が印象的な像です。
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