ken's銅像探索日誌
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早川 徳次
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早川 徳次 像
(東京都 中央区 銀座 日比谷線銀座駅)

撮影日:2011年2月24日
建設年:昭和15年
分 類:実業家
作 者:朝倉 文夫
評 価:☆☆☆

早川 徳次
「毎日jp.昭和写真館ホームページ」から
地下鉄開通80周年:写真で振り返る地下鉄の歴史

早川 徳次(はやかわ のりつぐ)
(1881年-1942年)
東京地下鉄道の創業者である。
「地下鉄の父」と呼ばれる。

明治14年10月15日生まれ。
根津嘉一郎にみとめられ,高野登山鉄道支配人となる。
欧米を視察して大正9年東京地下鉄道を創立。
昭和2年上野-浅草間,9年上野-新橋間を開通させた。
15年東京高速鉄道(渋谷-新橋間)の五島慶太との経営権争いに敗れて退陣。
昭和17年11月29日死去。62歳。
山梨県出身。早大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆東京に住み、あるいは東京を訪れる人々の足元を走る交通機関といえば、そう、地下鉄です。
その建設に取り組んだ早川徳次は、現在は「桃の花まつり 川中島合戦祭」でも知られる山梨県笛吹市(当時は東八千代郡)に生まれました。
明治14年(1881)のことです。早稲田大学在学中に後藤新平と出会い、後に彼のもとで鉄道事業に関わりを持ったことが縁で、同郷の根津嘉一郎(東武鉄道の創業者)のもとで鉄道経営の手腕を磨きます。
早川が地下鉄に注目したきっかけは大正3年の欧州視察で、ロンドンの地下鉄を目の当たりにして東京でも地下鉄事業を実現すべしとの思いを強くしたといいます。
当時は地下鉄への理解が低く、また地盤が軟弱な地下工事の技術的難度の高さ、そして何より資金難など多くの問題がありました。
しかし早川は根津ら既知の鉄道事業者らの支援を受けるなどして問題を克服。
東京地下鉄道株式会社(後の帝都高速度交通営団、現在の東京地下鉄)を設立し、「クモの巣のような地下鉄道網」の実現を目指します。
昭和2年末には、ついにアジア初の地下鉄を開業(浅草~上野)。
しかし当時の鉄道省や民間鉄道会社との軋轢などから、昭和16年(1941)には失意のうちに経営の第一線から退きます。
そして自らの夢の実現を見ることなく、翌年この世を去りました。
銅像は、日比谷線銀座駅の中二階メトロプロムナード中ほどにあります。
ちょっと奥まった場所にあり、柱の陰に隠れるほどの大きさですが、朝倉文夫製作の覇気溢れる人物を感じさせる像です。
1940年に、早川の紫綬褒章受章を記念して建立されました。
由来書が描かれた台座付きの胸像で、自ら心血を注いだ地下鉄の賑わいを静かに見守っています。
同じ像が地下鉄東西線葛西駅にある地下鉄博物館にも飾られています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
ちょっと分かりにくいですが、日比谷線銀座駅の中におられます。
髭が特徴的で、茶色く光っています。
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