ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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孔子 1
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孔子 像 1
(東京都 文京区 湯島 湯島聖堂)

撮影日:2007年6月21日
建設年:昭和50年
分 類:思想家
作 者:開 明徳
評 価:☆☆☆

孔子
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

孔子(こうし)
(前552年~前479年)
中国、春秋時代の学者・思想家

魯の陬邑(山東省曲阜)に生まれる。
名は丘。字は仲尼。諡は文宣王。
早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国を遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。
晩年再び魯に帰ってからは弟子の教育に専心。
後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。
弟子の編纂になる言行録「論語」がある。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆孔子は、紀元前の中国・春秋時代の思想家です。
氏は孔、字は仲尼(ちゅうじ)ですが、一般的には孔子(孔先生という意味)と呼ばれています。出自には諸説あり、またどのように学問を積んだのかも不明な点が多いのですが、有名な歴史書『史記』では52歳で魯国の宰相になったという記述があります。
のちに国政を離れて多くの弟子とともに諸国を巡る旅に出ますが、これは苦難の旅になりました。
この間に仁・礼を規範とする国家の理想像を得るに至りました。
官僚として国政にたずさわることを望みましたが叶わず、不遇のうちに世を去りました。
しかし孔子とその高弟の言行録『論語』は、後にヨーロッパの啓蒙思想家に大きな影響を与え、また国家経営や官吏の道を学ぶテキストともされました。
銅像は、湯島聖堂の敷地内にあります。
湯島聖堂は儒学振興を目的として徳川綱吉が建設を命じたもので、後に幕府直轄の教育機関「昌平坂学問所」へと発展します。
明治維新により儒学教育の機関としての歴史は幕を閉じますが、その地には日本初の博物館(現在の東京国立博物館)や日本初の図書館が置かれたほか、東京師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(お茶の水女子大学)などが設置され、近代教育萌芽の苗床となりました。
現在は国の史跡に指定されています。
像の場所は、仰高門から入り、楷の巨木が見える通路を少し入った斯文会館の真裏になります。
昭和50年(1975)に中華民国台北市ライオンズ・クラブより贈られたもので、台湾師範大学の開明徳教授の製作です。
高さは4.5メートルあり、孔子の銅像では世界最大のものだそうです。
また楷の木は孔子と縁が深く、孔子の墓所や孔子を祀った孔子廟や像のそばに植えることが習わしとなっているようです。
枝葉の様子に均整のとれた美しさがあり、楷書体の元になったといわれます。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
湯島聖堂におられます。
世界最大の孔子の銅像というだけあって大きさに圧倒されます。
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IMG_3481.jpg
孔子を祀っている大成殿
中国的な建物です。
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