ken's銅像探索日誌
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岡部 平太
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岡部 平太 像
(福岡県 福岡市 中央区城内 平和台陸上競技場)

岡部 平太(おかべ へいた)
(1891年-1966年)
大正-昭和時代の体育指導者

撮影日:2010年12月5日
分 類:体育指導者
評 価:☆☆☆

岡部 平太
「岡部平太小伝 日本で最初のアメリカンフットボール紹介者」

明治24年9月10日生まれ。
東京高師の柔道選手として活躍。
大正7年渡米し,シカゴ大で体育理論をまなぶ。
東京高師講師などをへて11年満州体育協会理事長。
昭和26年ボストンマラソンの監督として田中茂樹を優勝にみちびいた。
福岡市の平和台競技場の名付け親。
昭和41年11月6日死去。75歳。福岡県出身。
著作に「コーチ五十年」。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「マラソン界再建の業績と平和台陸上競技場」
1945年(昭和20年)福岡に戻り、戦後は金栗四三らとマラソン界の再建に努力。
「オリンピックマラソンに優勝する会」を発足させ、各地の有力選手を発掘すると共に、合宿による徹底指導を行った。
日本人が初参加した1951年ボストンマラソンでは監督として田中茂樹選手を優勝させ、その後も西田勝雄、広島庫夫、山田敬蔵、浜村秀雄、貞永信義ら第一級選手を育成している。
岡部はその活動の破天荒さ、革新性ゆえ「スポーツ界の奇才」「在野の巨人」「風雲児」などと称され、組織原理や精神主義に重きをおきがちな体育団体とぶつかることも多かったが、近年その業績が再評価されつつある。
現在の福岡市の平和台陸上競技場は、1948年(昭和23年)の福岡国体(第3回国民体育大会)当時、国体事務局長であった岡部が、国体の主競技会場(福岡城址の一角にあった旧日本陸軍兵営跡地)に、「兵(つわもの)どもの夢の跡を平和の台(うてな)にする」として、英語で「Peace-Hill」(平和の丘)を意味する「平和台」と名付けたことが由来である。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
第64回福岡国際マラソン出場前に撮影。
岡部平太は、日本のマラソン再建に尽力した人で、「平和台陸上競技場」の名付けの親でもあります。
42キロを走り競技場に帰ってきたランナーを見守っているようです。
ちなみに後ろに写っているのは、放送用マイクです…

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