ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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青山 胤通
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青山 胤通 像
(東京都 文京区 東京大学)

撮影日:2010年12月18日
建設年:大正9年
分 類:医学者
作 者:新海 竹太郎
評 価:☆☆☆☆

青山 胤通
青山 胤通(あおやま たねみち)
(1859年-1917年)
明治-大正時代の内科学者

安政6年5月15日生まれ。
青山景通の3男。青山徹蔵の義父。
ベルリン大に留学,明治20年帰国して母校帝国大学医科大学の教授となり,34年同大学長。
癌研究会をおこし会長,伝染病研究所長などをつとめる。
27年香港で流行したペストを出張研究。
また明治天皇の診療にもあたった。
大正6年12月23日死去。59歳。
江戸出身。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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◆青山胤通は、幕末に苗木藩士の三男として誕生。
1882年に東京大学医学部を卒業後、恩師であったエルヴィン・ベルツの推挙を受けてドイツへ留学、内科を専攻しました。
帰国後は東京帝国大学医学大学校内科学教授(のち学長)として教鞭を執る一方で、伝染病研究所所長などを歴任し、日本の医学発展に尽力しました。
日本最初の癌研究機関である癌研究会の設立者の一人でもあります。
銅像は胸像で、佐藤三吉像の左並びに置かれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[エピソード]
◎北里柴三郎と野口英世の排斥者、批判者として知られる。

◎東京大学医科学研究所の前身である伝染病研究所の東京大学医学部統合を推進し伝染病研究所の創設者である北里柴三郎と激しく対立した。

◎森鴎外とも親交があり、彼の親友である原田直次郎の治療も行っている。

◎脚気は感染症であるという説を生涯主張し当時の日本医学会では定説となっていたが、現在では否定されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感  想]
新海竹太郎の代表作の1つ。
葉巻を持つ手を上手く台座に乗せています。
台座も含めていいデザインだと思います。
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