ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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アントニウス・ボードウィン
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アントニウス・ボードウィン 像
(東京都 台東区 上野恩賜公園)

アントニウス・ボードウィン(Anthonius Franciscus Bauduin)
(1820年-1885年)
オランダ人の在日蘭医

撮影日:2007年6月21日
建設年:平成18年
分 類:外国人
作 者:林昭三(原型製作)
評 価:☆☆☆

アントニウス・ボードウィン
アントニウス・ボードウィン
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

◆ボードワン博士(アントニウス・フランシスカス・ボードウィン)は、オランダの軍医で、1862年に来日しました。
主な業績はオランダ医学の普及ですが、上野公園にとって生みの親とも言える深い縁をもった人物です。
ボードワンは医学所講師として1891年まで滞在(途中2回帰国)し、オランダ医学の普及に尽力しましたが、この間に明治維新を迎えた日本はドイツ医学の導入へと向かいました。
しかし、大学東校(東京大学医学部の前身)が招く予定だったドイツ人講師の来日が普仏戦争の影響で遅れたため、臨時講師となりました。
当時、大学東校と病院は移転が決まっており、上野の森はその移転先候補の一つでした。
ボードワンは自然が工事によって失われることを危惧し、政府に保存を提言。
その結果、大学の移転先は本郷に決まり、上野の森は西洋式公園として保存されることになったのです。
銅像(胸像)は、上野公園100年を記念して1973年に建てられたものですが、本人ではなく駐日オランダ領事だった実弟をモデルにしたものでした(豊かな髭を蓄えた人物の像)。
そこで2006年、彫刻家林昭三氏の原型製作による新しい像が据えられました。
端正な面立ちに近代ヨーロッパの軍服が非常に似合っている像です。
場所は、噴水近くの林の中。
少し見つけにくい場所ですが、上野公園を静かに見守っています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[エピソード]
◎養生所、医学校教頭としてオランダ医学の普及に努めたほか、本国からクーンラート・ハラタマを招聘するなどして物理学や化学の日本の教育制度の充実を図った。
◎特に眼科に優れており、日本に初めて検眼鏡を導入した。なお、ボードウィンが日本に持ってきた健胃剤の処方が日本人に伝播され、独自の改良を経たものとして太田胃散と守田宝丹がある。いずれもその後品質改良や薬価改定などによって形状・成分の変更などが行なわれたが現在に至るまで市販されている。
◎アマチュアの写真家でもあり、多くの写真を残している。
◎上野に病院を立てる計画が持ち上がったときに、上野の自然が失われることを危惧して一帯を公園として指定することを提言した(現在の上野恩賜公園)。上野公園に業績を顕彰する銅像がある。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
この人のおかげで、大都会の中自然いっぱいのこの上野公園が残っているのです。
銅像は、公園の自然の中にひっそりと有り、公園を眺めておられます。
りりしい顔がいい感じです。
先代の銅像は、弟がモデルの像だったとは、おもしろいエピソードです。

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