ken's銅像探索日誌
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エルヴィン・ベルツ
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エルヴィン・ベルツ 像
(東京都 文京区 東京大学)

撮影日:2010年12月18日
建設年:明治40年
分 類:外国人、医学者
作 者:長沼守 敬
評 価:☆☆☆☆

エルヴィン・フォン・ベルツ
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

エルヴィン・ベルツ (Bälz, Erwin von)
(1849年-1913年)
ドイツの医学者

1849年1月13日生まれ。
ベルツ花の夫。
明治9年(1876)東京医学校の教師として来日し,生理学,内科学,病理学などをおしえた。ツツガムシ病,脚気(かっけ),日本人の身体的特徴などを研究し,温泉の効用も紹介した。
宮内省御用掛。
38年帰国。
「ベルツの日記」をのこした。
1913年8月31日死去。64歳。
ビーティヒハイム出身。ライプチヒ大卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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◆ベルツは、ドイツ人の医師・医学者で、1876年に来日。
最初は東京医学校で生理学と薬物学を教えましたが、翌年の東京大学医学部発足に伴って内科学の教壇に立ちます。
当時の医学教育は、まだ日本人教授が足りなかったため外国人教授に期待するところが大きく、ベルツは産婦人科学まで任されていたそうです。
教授職は1902年に退きましたが、そのまま日本に留まり、宮内庁侍医も務めました。
1905年帰国。1911年没。
銅像についてはスクリバ像を参照してください。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[エピソード]
◎蒙古斑
1885年(明治18年)、エルヴィンの医学的貢献でよく知られているのは蒙古斑の命名である。
◎ベルツ水
1883年(明治16年)、箱根富士屋ホテルに滞在中、女中の手が荒れているのを見たのをきっかけに、「ベルツ水」を処方する。
現在ではグリセリンカリ液として日本薬局方・薬価基準に収載されており、17.80円/10ml。

◎草津温泉との関わり
草津温泉を再発見、世界に紹介した人物でもある。
1878年(明治11年)頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。
「もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」と評価する。

◎エルヴィンは、親友のシーボルトの影響を強く受け蒐集活動にも取り組む。
花夫人(シーボルト夫人の名も同じ(岩本)ハナ)の協力を得ながら、江戸時代中後期から明治時代前半にかけての日本美術・工芸品約6000点を収集した。
特に、絵師の河鍋暁斎を高く評価し、親しく交わった。
ベルツ・コレクションは現在、シュトゥットガルトのLinden-Museum(リンデン民族学博物館)に収蔵されており、2008年(平成20年)-2009年(平成21年)には「江戸と明治の華-皇室侍医ベルツ博士の眼」展として日本各地で公開された。
展覧会図録がある。

◎文化の面にしてもシーボルトの誘いで歌舞伎の鑑賞に出掛け、またフェンシングの達人でも合った同氏と共に当時随一の剣豪であった直心影流の榊原鍵吉に弟子入りもしている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[銅 像]
※夏目漱石の有名な小説「三四郎」の中にこの銅像が登場します。
『二人はベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りへ出た。
銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて三四郎は又弱った』

[感  想]
スクリバ像と並んでいますが、髭を生やした顔は二人よく似ており、同時期に教壇に立った当時間違えられなかったのでしょうか?
蒙古斑の命名者というのも驚きです。
漱石が三四郎の中でこの銅像はどうですか?と問っているのも面白いと思いました。
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