ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

谷 干城

IMG_7525.jpg

IMG_7527.jpg
谷 干城 像
(熊本県 熊本市 千葉城町 高橋公園)

撮影日:2011年8月7日
建設年:昭和44年
分 類:軍人
作 者:朝倉文夫
評 価:☆☆☆☆

谷たてき
「近代日本人の肖像ホームページ」から

谷 干城 (たに たてき)
(1837年-1911年)
明治時代の軍人,政治家

天保(てんぽう)8年2月12日生まれ。
もと土佐高知藩士。
維新後陸軍にはいり,熊本鎮台司令長官。
西南戦争の際,熊本城を西郷軍の攻撃からまもりぬく。
明治11年陸軍中将。
第1次伊藤内閣の農商務相となるが井上外相の条約改正案に反対して辞任。
学習院院長。貴族院議員。
明治44年5月13日死去。75歳。
通称は申太郎,守部。号は隈山。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

IMG_7528.jpg

◎坂本龍馬への尊敬
土佐藩上士の谷干城は、同じ藩の郷士と呼ばれる下士出身者である坂本龍馬を厚く尊敬したとされる。
また彼自身の伝聞では、慶応3年(1867年)に龍馬が暗殺されたときには、真っ先に現場に駆けつけ、瀕死の状態にあった中岡慎太郎から龍馬暗殺の経緯を聞きだし、生涯をかけて龍馬の暗殺犯を追ったという。
谷は事件当初より、犯人は新選組と決めつけていたといわれ、戊辰戦争の際には、流山で捕らえた新撰組局長であった近藤勇の尋問について、薩摩藩と殊更対立した。
斬首・獄門という惨刑に処したのも谷であるが、彼にとっては龍馬の敵討ちであった。
明治33年(1900年)、かつての見廻組の一人であった今井信郎が「龍馬を暗殺したのは俺だ」と言ったが、谷は、それを聞き及ぶと「お前ごとき売名の徒に坂本さんが斬られるものか」と逆に厳しく非難したという。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
高橋公園の維新群像のすぐ近くにおられます。
刀を立て堂々と座っておられます。
軍服と八の字の髭が細部に至るまで表現されています。

スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://kendouzou.blog115.fc2.com/tb.php/332-0414e0d7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。