ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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細川 護久
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細川 護久 像
(熊本県 熊本市 千葉城町 高橋公園)
(横井小楠をめぐる維新群像)

撮影日:2011年8月7日
建設年:平成12年
分 類:大名
作 者:石原 昌一
評 価:☆☆☆

細川 護久
細川 護久(ほそかわ もりひさ)
(1839年-1893年)
肥後熊本藩の第12代(最後の)藩主
幕末-明治時代の華族

天保(てんぽう)10年3月1日生まれ。
肥後熊本藩主細川斉護の子。
慶応4年新政府の議定,刑法事務総督,明治2年参与となる。
3年熊本藩知事として藩政改革に尽力し,洋学校,医学校を創設した。
侯爵。貴族院議員。
明治26年9月1日死去。55歳。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◎護久は弟の護美を重用し、藩の諸式・諸法律の改変、藩士のリストラや俸禄の削減、領民に対しての免税や封建制度の撤廃など、当時としてはかなり進歩的な藩政改革を行なった。
一方で体制一新のため、早くから新政府に廃藩を提言した。
明治4年3月と同年5月の2度にわたって藩知事免職を願い出た。
明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官、同年に白川県(現在の熊本県)知事となる。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
刀を立て横井小楠像を見つめる姿は、小楠に何かを訴えかけているような感じがします。
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