ken's銅像探索日誌
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宮本 武蔵
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宮本 武蔵 像
(熊本県 熊本市 武蔵塚公園)

撮影日:2011年8月7日
建設年:平成元年
分 類:剣士
作 者:三坂耿一郎
評 価:☆☆☆

宮本武蔵
宮本武蔵像 島田美術館蔵 熊本県指定重要文化財

宮本 武蔵(みやもと むさし)
(1584年-1645年)
江戸時代前期の剣術家

天正12年生まれ。
播磨(兵庫県)または美作(岡山県)の人で,父は一説に新免無二斎。
二天一流をひらく。
生涯六十余度の試合に不敗をほこり,吉岡一門,佐々木小次郎との決闘が名だかい。
晩年は肥後熊本藩の客分となった。
水墨画にもすぐれ,代表作に「枯木鳴鵙図」など。
正保(しょうほ)2年5月19日死去。62歳。
名は玄信。号は二天。
著作に「五輪書」など。
【格言など】我(われ)事において後悔せず(「独行道」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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「武蔵と熊本」
寛永17年(1640年)熊本城主細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。
7人扶持18石に合力米300石が支給され、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、家老以上の身分でなければ許可されない鷹狩りが許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。
同じく客分の足利義輝遺児足利道鑑と共に忠利に従い山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。
翌年に忠利が急死したあとも2代藩主細川光尚によりこれまでと同じように毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。
『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として「士水伝えて云、武公肥後にての門弟、太守はじめ長岡式部寄之、沢村宇右衛門友好、その他、御家中、御側、外様、及陪臣、軽士に至り千余人なり」とこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。
この頃余暇に製作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。
寛永20年(1643年)熊本市近郊の金峰山にある岩戸の霊巌洞で『五輪書』の執筆を始める。
また、亡くなる数日前には「自誓書」とも称される『獨行道』とともに『五輪書』を兵法の弟子寺尾孫之允に与えている。
正保2年5月19日(1645年6月13日)千葉城の屋敷で亡くなる。
墓は熊本市弓削にある通称武蔵塚。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

枯木鳴鵙図
「枯木鳴鵙図」

[感 想]
有名な二刀流の「二天一流」の構えの像です。
よく見る宮本武蔵の肖像画を基に作られたと思われます。
終焉の地である熊本でじっと前を見据えておられます。


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[2013/01/29 10:43] | # [ 編集 ]


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