ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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禅海 1
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禅海像 1
(大分県 中津市 本耶馬渓町 青の洞門内)

撮影日:2012年2月6日
分 類:僧
評 価:☆☆

禅海(ぜんかい)
(1691年-1774年)
江戸中期の禅僧

越後(新潟県)の人
最初江戸浅草で,全国66カ所の霊場に法華経を納めて回る行脚僧の六十六部になる。
諸国行脚の途中,1715年に豊後(大分県)別府に至り,得度して禅海と称した。
豊前国下毛郡耶馬渓の曹洞宗羅漢寺に参詣し,灌漑工事のため参詣路が水没し,断崖にかけられた桟道が通行の難所となっているのを知り,ひとり羅漢寺の塔頭智剛寺に住して開削工事を始めたとされる。
以後30年余の歳月を費やして青の洞門を完成させた。
禅海の業績は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の題材となった。
「朝日日本歴史人物事典」から抜粋

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「青の洞門」
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。
この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、完成当時よりかなり変形しているが一部にノミの跡が残っている。
地形の関係上車幅が狭く、信号を使った交通整理(片側交互通行)が行われている。
開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
青の洞門の中におられます。
石像でノミと槌を振るう姿です。
IMG_0849.jpg
明り取り窓が当時のまま残っています。

IMG_0843.jpg
青の洞門入り口
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