ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大内 義興
IMG_2016.JPG

IMG_2013.JPG

IMG_2015.JPG
大内 義興 像
(山口県 山口市 大殿大路 龍福寺)

大内 義興(おおうちよしおき)
(1477年-1529年)
戦国時代の武将

撮影日:2007年6月10日
分 類:武将
作 者:月形那比古
評 価:☆☆☆

大内 義興

文明9年生まれ。
大内政弘の子。周防,長門,豊前,筑前,石見の守護。
永正5年足利義稙をたてて京都にはいり,義稙を将軍に復職させる。
みずからは管領代となり,山城守護をかねる。
遣明船の派遣など対外貿易を積極的におこなった。
大永6年尼子経久軍とたたかい,陣中で病にかかり周防にかえる。
享禄元年12月20日死去。52歳。
幼名は亀童丸,六郎。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎義興は公家のような人物だったといわれる。
だからといって軟弱な人物ではなく、その生涯を戦陣の中で過ごした英雄である。
むしろ、自らを公家のように振舞うことで、京都の戦火を逃れてやってくる公家を山口に迎えて朝廷とのパイプを作り、さらに京都文化を山口で開花させて、山口文化(大内文化)を創出させて領国を「西の小京都」と呼ばれるまでに繁栄させるなど、大内氏の全盛期を築き上げた人物である。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
龍福寺資料館前に設置されています。
説明文によると、「大内義興公馬上展望」像は、心像彫刻家 月形那比古によるもので、彼は、東洋のピカソと論評される鬼才だそうです。
確かに一般的な銅像とは、ちょと違った感じの銅像です。
ところどころ、黄金色に光っており迫力があります。

スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://kendouzou.blog115.fc2.com/tb.php/4-e3de58f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。