ken's銅像探索日誌
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松尾 芭蕉
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松尾 芭蕉 像
(東京都 江東区 採荼庵跡)

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
(1644年-1694年)
江戸時代前期の俳人

撮影日:2007年6月21日
建設年:平成3年
分 類:俳人
評 価:☆☆☆

与謝蕪村が描いた芭蕉像
与謝蕪村が描いた芭蕉像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

正保元年生まれ。
京都で北村季吟にまなぶ。
江戸にでて宗匠となり,延宝8年深川に芭蕉庵をむすぶ。
貞享元年の「甲子吟行(かっしぎんこう)」「野ざらし紀行」をはじめ「笈(おい)の小文」「おくのほそ道」などの旅をへて,不易流行の思想,わび・さび・軽みなどの蕉風にたどりつく。
作句は没後,「冬の日」「猿蓑(さるみの)」「炭俵」などの七部集にまとめられた。
元禄7年10月12日旅先の大坂で病死。51歳。
命日を時雨忌という。
伊賀(三重県)出身。
名は宗房。通称は忠右衛門。別号に桃青,坐興庵,栩々斎(くくさい),花桃園など。
【格言など】春に百花あり秋に月あり,夏に涼風あり冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆松尾芭蕉(通称・松尾藤七郎など)は、江戸時代前期の俳人・俳諧師です。
出身は現在の三重県伊賀で、寛永21年(1644)に農家を営む松尾家の次男として誕生しました。
やがて兄が家業を継ぐと、自身は農業を離れて武家の藤堂家の嫡子・良忠に仕えることになりますが、良忠が医師であり歌人でもあった北村季吟に師事していたことから俳諧の世界へと足を踏み入れます。
良忠の死後は藤堂家の仕官より離れ、江戸へと向かいます。
「芭蕉」の俳号を使うようになったのは江戸・深川の庵に居住するようになって以降の延宝8年(1680)の冬頃からです。
ここを拠点としてしばしば日本全国を旅し、多くの紀行文を残しました。
中でも元禄2年(1689)に弟子の河合曾良とともに旅した『奥の細道』は有名です。
後半生の大半が旅の空の下にあった芭蕉が最期を迎えたのも旅先で、享年51歳。
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」が最後の句でした。
かなりの健脚であったといわれ、また伊賀出身であることから「芭蕉隠密説」などもありますが、連歌を源流とする俳諧に蕉風と呼ばれる独自の句風(複数の句の連作で構成するものから、単独の句に完結性を持たせて自立させるスタイルを好んで詠んだ)を生みだし、後に芭蕉十哲と呼ばれる弟子を育てるなど、俳諧を志す多くの後進に影響を与えた偉大な俳人でした。
銅像は、芭蕉が『奥の細道』へと出立した「採荼庵(芭蕉の門人杉山杉風の別荘)」跡にあります。
採荼庵跡は仙台堀川に渡された海辺橋のたもとにあり、庵風の壁(景観はかなり現代的)に設えた縁側に、旅立ち支度の姿で腰かけている姿です。
俳人・与謝蕪村が描いた姿などでも知られるやや面長で柔和な表情が印象的です。
採荼庵跡の横には、芭蕉の句が飾られた遊歩道もあります。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

「有名な句」
●古池や蛙飛びこむ水の音
(ふるいけや かはずとびこむ みずのおと)
●名月や池をめぐりて夜もすがら
(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)
●夏草や兵どもが夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
:岩手県平泉町
以下五句は「おくのほそ道」より
●閑さや岩にしみ入る蝉の声
(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)
:山形県・立石寺
●五月雨をあつめて早し最上川
(さみだれを あつめてはやし もがみがわ)
:山形県大石田町
●雲の峰いくつ崩れて月の山
(くものみね いくつくずれて つきのやま)
:山形県・月山
●荒海や佐渡によこたふ天河
(あらうみや さどによこたう あまのがわ)
:新潟県出雲崎町
●花の雲鐘は上野か浅草か
(はなのくも かねはうえのかあさくさか)
:東京都
●初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
(はつしぐれさるもこみのをほしげなり)
:三重県伊賀市
●月さびよ明智が妻の話せん
(つきさびよ あけちがつまのはなしせん)
:福井県坂井市
●旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
(たびにやんで ゆめはかれのをかけめぐる)
:辞世、難波(大阪市)

「隠密説」
忍者であるという説は、伊賀の上野に生まれたため、盛んに論じられてきた。
古くから俳諧師は旅をして暮らしたことから、情報収集をともなったと言われている。
1943年、「おくのほそ道」の旅に同行した河合曾良の旅日記『曾良旅日記』が翻刻された。
すると、『おくのほそ道』の記述とは、およそ80におよぶ相違点があることが判明した。
例えば、出発した日は『おくのほそ道』では3月27日であるのに対し、『曾良旅日記』では、3月20日となっている。
また、日程も非常に異様である。黒羽で13泊、須賀川では7泊して仙台藩に入ったが、出発の際に「松島の月まづ心にかかりて」と絶賛した松島では一句も詠まずに一泊して通過している。
この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだと考えられる。
また、『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したことが記されている。
曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したといわれている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感 想]
庵の前で一休みといった感じの芭蕉です。
芭蕉が忍者であったという説は、おもしろいです。

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