ken's銅像探索日誌
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松尾 芭蕉
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松尾 芭蕉 像
(東京都 江東区)

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
(1644年−1694年)
俳諧師

撮影日:2007年6月21日
分 類:文化人
評 価:☆☆☆

[経 歴]
蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。
伊賀国(現在の三重県伊賀市)で、松尾与左衛門と妻・梅の次男として生まれる。
若くして、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕え、2歳年上の良忠とともに北村季吟に師事して俳諧の道に入った。
1666年に良忠が歿するとともに仕官を退く。
1672年、処女句集『貝おほひ』を上野天満宮(三重県伊賀市)に奉納。
1675年に江戸に下り、神田上水の工事に携わった後、
1678年に宗匠となり、職業的な俳諧師となった。
1680年に深川に草庵を結ぶ。
門人の李下から芭蕉を贈られ、芭蕉の木を一株植えたのが大いに茂ったので「芭蕉庵」と名付けた。その入庵の翌秋、字余り調の芭蕉の句を詠んでいる。
『芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉  芭蕉』
天和2年(1682年)の天和の大火で庵を焼失し、甲斐国谷村藩(山梨県都留市)の国家老高山伝右衝門に招かれ流寓する。
しばしば旅に出て、『野ざらし紀行』・『鹿島紀行』・『笈の小文』・『更科紀行』などの紀行文を残した。
1689年、弟子の河合曾良を伴って『奥の細道』の旅に出、
1691年江戸に帰った。
その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した(よく辞世の句と言われているが結果論である。「病中吟」との前詞があり、辞世とは当人も意識していなかった。
なお、「秋深き 隣は何を する人ぞ」は、
死の床に臥す直前に書いた句である)。
享年50。

[隠密説]
忍者であるという説は、伊賀の上野に生まれたため、盛んに論じられてきた。
古くから俳諧師は旅をして暮らしたことから、情報収集をともなったと言われている。
1943年、「おくのほそ道」の旅に同行した河合曾良の旅日記『曾良旅日記』が翻刻された。
すると、『おくのほそ道』の記述とは、およそ80におよぶ相違点があることが判明した。
例えば、出発した日は『おくのほそ道』では3月27日であるのに対し、『曾良旅日記』では、3月20日となっている。
また、日程も非常に異様である。黒羽で13泊、須賀川では7泊して仙台藩に入ったが、出発の際に「松島の月まづ心にかかりて」と絶賛した松島では一句も詠まずに一泊して通過している。
この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだと考えられる。
また、『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したことが記されている。
曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したといわれている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感 想]
庵の前で一休みといった感じの芭蕉です。
芭蕉が忍者であったという説は、おもしろいですね。



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