ken's銅像探索日誌
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藤島 武二
藤島1

藤島2

藤島3
藤島 武二 像
(鹿児島県 鹿児島市 武 長島美術館)

撮影日:2012年11月18日
建設年:昭和31年
分 類:画家
作 者:本郷 新
評 価:☆☆☆

滞仏中の藤島武二
滞仏中の藤島武二
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

藤島 武二(ふじしま たけじ)
(1867年-1943年)
明治-昭和時代前期の洋画家

慶応3年9月18日生まれ。
はじめ日本画を川端玉章に、のち洋画を曾山幸彦らにまなぶ。
また黒田清輝の影響をうける。
渡欧ののち明治43年東京美術学校教授。
文展・帝展を中心に活躍した。
昭和12年文化勲章。
昭和18年3月19日死去。77歳。
薩摩(鹿児島県)出身。
作品に「黒扇」「芳蕙(ほうけい)」「耕到天」など。
【格言など】即刻アトリエを打ち壊すこと、アトリエに残っている作品は一点残らず焼却のこと(遺書)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

明治から昭和前半まで、日本の洋画壇において長らく指導的役割を果たしてきた重要な画家である。
ロマン主義的な作風の作品を多く残している。


黒扇
『黒扇』(1908-1909)
ブリヂストン美術館所蔵(重要文化財)
藤島の女性像の代表作とされ、最もよく知られた作品の一つであるが、作品の評価や名声ほどには制作の状況やモデルなどの資料は残っていない。
弟子の小堀四郎の述懐では、晩年病床の藤島の代わりに小堀がアトリエを片付けていると、階段の裏に他の物が被さった下でピンで止められていたのを見つけ出したという。
藤島もこの再発見を喜び、早速枠張りしてニスを塗り直し、枕元に置いて楽しんだ。
一度は石橋正二郎に散逸するのを恐れて「黒扇」などをまとめて買い取ってもらったが、三日ほどであの絵がないと寂しくて寝られないから返してもらった、という逸話が残っている(その一年後再び石橋の手に戻る)。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

藤島武二筆「蒙古の日の出」
藤島武二筆「蒙古の日の出」
藤島武二(1867~1943)は、鹿児島藩士の子として生まれる。
幼い頃から郷土の日本画家平山東岳について四条派の絵を学ぶ。
1890年には、長年の希望であった洋画の勉強のために曽山幸彦の画塾に通い、続いて中丸精十郎、松岡寿にも学ぶ。
1893年、三重県尋常中学校の教師となるが、1896年に「白馬会」会員となり、さらに黒田清輝のすすめで東京美術学校助教授となった。
1905年から1910年にかけてフランス、イタリアに留学、新しい画風の研究を行った。
この作品は、御物の「旭日照六合」の習作の一点である。
昭和3年昭和天皇の即位を祝うため御学問所の壁を飾る作品として依頼されている。
「鹿児島県ホームページ」から

[感  想]
ギョロリとした目が印象的な像です。
『黒扇』は、記念切手にもなっていて、よく見る絵です。
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