ken's銅像探索日誌
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黒田 清輝
黒田1

黒田2

黒田3
黒田 清輝 像
(鹿児島県 鹿児島市 武 長島美術館)

撮影日:2012年11月18日
建設年:昭和61年
分 類:画家
作 者:伊藤 傀
評 価:☆☆☆

黒田清輝1

黒田清輝2
「近代日本人の肖像」から

黒田 清輝(くろだ せいき)
(1866年-1924年)
明治-大正時代の洋画家

慶応2年6月29日生まれ。
伯父黒田清綱の養子。
明治17年法律研究のためフランスに留学。
ラファエル=コランにまなび、画家を志望。
帰国後の29年久米桂一郎らと白馬会を結成。
外光派とよばれるあかるい画風は洋画界の主流となった。
31年東京美術学校教授、のち帝国美術院院長。貴族院議員。
大正13年7月15日死去。59歳。
薩摩(鹿児島県)出身。
本名は清輝(きよてる)。
作品に「朝妝」「舞妓」「湖畔」など。
【格言など】始終骨なし人形ばかり描いていて、いつまでも美術国だといっていられるか
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

黒田清輝筆「赤き衣を着たる女」
黒田清輝筆「赤き衣を着たる女」
黒田清輝(1866~1924)は、鹿児島藩士黒田清兼の子として生まれ、
幼くして叔父で明治政府の高官黒田清綱の養子となった。
1884年法学研究のためフランスに留学するが、1886年になると西洋の絵画に興味を示すようになり、ラファエル・コランに入門し、本格的に絵の勉強を始めた。
1893年帰国するが、明るい外光的表現の作品を発表すると日本画壇に大きな衝撃を与えた。
この作品は、1912年第6回文展に「習作」の題で出品されたもので、『黒田清輝日記』の明治45年6月3日月曜日の項に「夕刻モデルニ據リ庭前ニテ赤衣半裸體ノ習作ヲナス」とあり、さらに5日にサインを入れたとの記事から制作の様子がわかる。
「鹿児島県ホームページ」から

『湖畔』(1897年)黒田
「湖畔」
(1897年、黒田記念館、重要文化財)
モデルは友人の画家安藤仲太郎が紹介した芸者で、当時23歳の金子種子。
のちに清輝の妻となり照子と改名した。
縦69cm×横84.7cm。
描かれた地点は、箱根芦ノ湖の観光船の乗り場や箱根駅伝スタート地点のすぐ近くである。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
腕を前に組んだ恰幅のいい上半身像です。
頭と髭が特徴的です。
「湖畔」は、有名な絵ですが、モデルの女性は、後に奥さんになった人だったとは初めて知りました。
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