ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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ジョサイア・コンドル
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ジョサイア・コンドル 像
(東京都 文京区 東京大学)

撮影日:2010年12月18日
建設年:大正11年
分 類:外国人、建築家
作 者:新海 竹太郎
評 価:☆☆☆☆

コンドル
建築學會発行「建築雑誌」より

ジョサイア・コンドル (Conder, Josiah)
(1852年-1920年)
イギリスの建築家

1852年9月28日生まれ。
明治10年(1877)来日,工部大学校(現東大)で建築学をおしえ,辰野金吾ら多くの建築家をそだてる。
建築教育の制度をととのえ,鹿鳴館,ニコライ堂など70以上の建物を設計した。
大正9年6月21日東京で死去。67歳。
ロンドン出身。ロンドン大卒。
作品に東京帝室博物館,三井倶楽部(クラブ)など。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

◆ジョサイア・コンドルは、1852年にイギリス・ロンドンに住む銀行員の子として誕生。
父の死後、建築家を志します。
ロンドン大学などで建築学を学んだのち、1876年にイギリスの名建築家に因んだソーン賞を受賞したことをきっかけに、日本政府の招きを受けて明治10年(1877)に来日しました。
日本では工部大学校(現在の東大工学部建築学科)などで教鞭を執った後に建築事務所を開いて数多くの建築物を手がけました。
手がけた作品の多くは解体・震災や空襲などによる損壊で失われましたが、1891年竣工のニコライ堂や、三菱財閥の岩崎久弥本邸(現在は旧岩崎庭園内の建築物として現存)など、重要文化財になっている建築物を数多く手がけました。
有名な鹿鳴館(1940年に解体)も代表的な作品です。
日本の建築学の発展に多くの足跡を残したジョサイア・コンドルは1893年に日本人女性と結婚、1914年には工学博士号を取得しましたが、1920年に脳溢血で世を去りました。
銅像は、没後2年の大正11年(1922)に、長年の功績を称えて製作が決定し、翌年除幕されました。製作は新海竹太郎で、東大内の銅像では比較的数が少ない台座付きの立像になっています。また台座には2体の邪鬼も描かれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

IMG_4530台座
台座の邪鬼

[主な作品]
NIKORAIDOU.jpg
コンドルの設計による初代の神田ニコライ堂(1910年頃)

800px-Iwasaki_2006_0709.jpg
旧岩崎邸(正面)
800px-Iwasaki_House_at_Ueno_Tokyo.jpg
旧岩崎邸(南側)
岩崎久弥邸(1896年頃、湯島、旧岩崎邸庭園)重要文化財

800px-Kyu_furukawa_teien_yokan.jpg
古河邸(1917年、旧古河庭園)

日本の近代建築に残したコンドルの足跡は不滅である。
また、コンドルの真価が発揮されたのは工部大学校での教育・人材育成であろう。
日本銀行本館や東京駅などを設計した辰野金吾、
のちに赤坂の迎賓館を設計した片山東熊(かたやまとうくま)、
慶応義塾大学図書館や長崎造船所の迎賓館「占勝閣(せんしょうかく)」を手掛けた曽根達蔵(そねたつぞう)など、
そうそうたる建築家群を育て上げ、日本の近代化に大きく貢献した。
【三菱広報委員会発行「マンスリーみつびし」から抜粋】


[感 想]
日本の近代建築に大きな影響を与えた人物です!
東京大学の工学部の前庭に立っておられます。
手をポケットに突っ込んだスーツの立ち姿が、かっこいいです
バックの銀杏の木がいい感じです。
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