ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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高木 兼寛
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高木 兼寛 像 
(鹿児島県 鹿児島市 山下町 県民交流センター横)

撮影日:2012年11月18日
建設年:平成22年
分 類:医学博士
評 価:☆☆

高木兼寛(たかき かねひろ)
(1849年-1920年)
明治-大正時代の医学者

嘉永2年9月15日生まれ。
鹿児島で西洋医学をまなび、明治5年海軍軍医。
イギリスに留学、18年海軍軍医総監となる。
脚気の栄養原因説を主張、麦飯の採用など兵食の改善で海軍の脚気を撲滅。
成医会講習所(東京慈恵医大の前身)、有志共立東京病院、看護婦養成所を設立。
日本最初の医学博士。
大正9年4月13日死去。72歳。
日向(宮崎県)出身。
幼名は藤四郎。号は穆園。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎明治3年(1870年)、薩摩藩によって創設された鹿児島医学校に入学するが、校長の英人ウィリアム・ウィリスに認められて教授に抜擢された。

◎脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。
当時なじみの薄かったカレーをかっけの予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
ウィリアム・ウィリスに教えを受ける高木の像です。
手に持つ風呂敷の中は医学書が入っているかと思われます。
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