ken's銅像探索日誌
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吉井 友実
IMG_0747.jpg

吉井0748
吉井 友実 像
(鹿児島県 鹿児島市 照国町 中央公園)

撮影日:2012年11月18日
建設年:平成22年
分 類:幕末藩士
評 価:☆☆

吉井 友実(よしい ともざね)
(1828年-1891年)
幕末-明治時代の武士、官僚

文政11年2月26日生まれ。
薩摩鹿児島藩士。
西郷隆盛、大久保利通と親交があり、安政3年大坂藩邸の留守居となり諸国の尊攘運動家とまじわる。
維新後は司法、民部、宮内など各省をへて、明治15年日本鉄道社長。
元老院議官、枢密顧問官。
明治24年4月22日死去。64歳。
通称は仁左衛門、幸輔。変名は山科兵部。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎加治屋町に生まれたため、西郷や大久保、税所篤らは幼少期からの親友である。元治元年(1864年)には、流罪に処されていた西郷の復帰を嘆願し、その召還使として渡島している。

◎王政復古の功によって西郷に位階を授けられる際、西郷が不在のため古参の同志である吉井が西郷の諱を届け出ることになったが、西郷の諱を忘れてしまい、誤って西郷の父吉兵衛の諱である「隆盛」で届け出てしまう。西郷は諱を元服時は「隆永」、のち「武雄」と改めていたが、この一件以降は隆盛を名乗っている。

◎西郷の名誉が回復されなかった当時、伊地知正治や岩下方平、副島種臣とともに命日に極秘で祭礼を行い、また、その遺児を明治天皇に拝謁させること等に尽力した。
なお、上野の西郷像創設の発起人も吉井である。

◎禁門の変においては、長州藩に対する朝廷の決意を固めるため、土佐藩士・乾市郎平正厚、久留米藩士・大塚敬介らと合議して意見書を朝廷に建白している。

◎寺田屋襲撃によって負傷した坂本龍馬が京都の薩摩藩邸へ移動する際、その護衛の任に当たっている。
その後、坂本の薩摩での新婚旅行で自邸を宿舎として提供し、感謝の意として「来国光」の短刀を贈られている。また龍馬暗殺直後の近江屋に急行している。

◎外遊中、パリで会った留学生の清水誠にマッチの製造を勧めている。
清水は後に、日本におけるマッチ製造業の元祖となった。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
右手を上げ、伊地知正治と語っている姿です。
西郷隆盛の「隆盛」は、伊地知が間違って届け出たという事実には驚きです。
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