ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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伊地知 正治
IMG_0750.jpg

伊地知0749
伊地知 正治 像
(鹿児島県 鹿児島市 照国町 中央公園)

撮影日:2012年11月18日
建設年:平成22年
分 類:軍師
評 価:☆☆

伊地知 正治(いじち しょうじ)
(1828年-1886年)
幕末-明治時代の武士、官僚、軍師

文政11年6月27日生まれ。
薩摩鹿児島藩士。
軍役奉行をへて、戊辰戦争で東山道先鋒総督参謀となる。
新政府で明治7年左院議長・参議、のち一等侍講、修史館総裁などを歴任し、17年伯爵、19年宮中顧問官となる。
明治19年5月23日死去。59歳。
通称は竜右衛門。名は「まさはる」ともよむ。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。
3歳の時に文字を読んで「千石の神童」と呼ばれるが、幼い頃に大病を患ったために片目と片足が不自由となる。

◎文久2年(1862年)、島津久光の上洛に従って京都に上った功績により軍奉行となる。
類稀な軍略家であり、薩英戦争や戊辰戦争で大きな功績を挙げた。
白河口の戦いではわずか700の兵で白河城に拠る旧幕府軍2、500を大破。
会津戦争においても薩摩軍を指揮し、土佐藩の板垣退助と共に会津若松城開城に大きく貢献している。
兵法の特徴として、徹底した少数精鋭主義(薩摩藩兵では城下士の部隊、長州藩兵では奇兵隊系の部隊を選抜して率いた)と合伝流の伝統である火力絶対主義にあった。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
吉井友実をじっと見つめて話をしている若い頃の姿です。
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